4月4日午前7時半頃 関釜裁判の「慰安婦」原告・李順徳さんがソウルの病院で亡くなられました。享年99歳でした。
ソウルでの葬儀には日本から福山の都築さんと福岡の緒方さんが参列しました。
福岡から葬儀に駆けつけることができなかったメンバーより、ハルモニへのお別れの言葉を寄せ書きにしハングルに訳して持って行ってもらいました。
李順徳ハルモニ!ありがとうございました!安らかにお眠りください!

追悼 :李順徳ハルモニ ーソウルでの葬儀に参列して 昨日のイスンドクハルモニのお葬式(追悼祭)に参加し、今朝の出棺から火葬場までお供しました。福岡の関釜裁判を支援する会の緒方さんと一緒でした。会場のセブランス病院葬儀場には若者の弔問の列が後を絶たず、追悼祭が始まっても式場に入れず外で待機する人たちもいるくらいでした。式場には韓国の国会議員や運動団体の花輪に加えて、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動を始め福岡や福山の関釜裁判を支援してきた諸団体やスンドクハルモニと特に親しかった花房俊雄・恵美子ご夫妻からの花輪が飾られていました。「自分が死んだら綺麗な花で飾ってくれ。」というハルモニの願いに沿うような静かで淡い色合いの花々でした。納棺は家族親族だけで行います。私は前日大学の平和理論の授業で友達に協力してもらった折り鶴と福岡のみなさんからのお別れの言葉を預けて、ハルモニのお棺に入れてもらいました。
追悼祭はスンドクハルモニが好きだった賛美歌をみんなで歌い始まりました。ユン・ミヒャン挺対協共同代表の「日本軍『慰安婦』問題が完全解決していない状況でハルモニを送り出すことに断腸の思いです。壮絶な『慰安婦』体験をしたハルモニは決して惨めではありませんでした。勇気を出して名乗り出て、日本政府の責任を問う関釜裁判を闘ってこられたハルモニ、若い人たちへの奨学金を作ってくださったハルモニの人生は立派で光に照らされたものでした。ハルモニの笑顔が私たちをつなぎ、私たちに次の闘いのバトンを渡してくれたのです。」という挨拶に会場の若者たちは一つ一つ頷いていました。
テーグム(韓国の横笛)の調べに合わせてイスンドクハルモニが辿ってきた道が紹介されました。福岡から参加した緒方さんは日本から預かってきた支援者たちのメッセージを代読し、ついには感極まり最後は嗚咽になりました。会場からもすすり泣きの声が聞こえます。最後に娘さんがお礼の挨拶をされました。「みなさん今日は母のためにこうして集まってくださり、ありがとうございます。母は生前自分が死んだらお前一人になるのが心残りだと私のことを心配してくれました。でも私は一人ではありません。母を支えてくれた皆さんがこんなに大勢集まってくれて、私は一人ぼっちだとは思いません。
実は母は本当の母ではありませんでした。でも母は私にありったけの愛情を注いでくれて、私が一人前の家庭生活ができるようにしっかりと育ててくれました。
母が『慰安婦』だったことを知ったのはそんなに早い時期ではありませんでした。母がテレビを見ていたときその話が出て初めて話してくれました。そんな苦労をした母が私を一生懸命愛して育ててくれました。今は母に感謝の気持ちでいっぱいです。」涙の輪が広がりました。参加者一人一人が祭壇に白菊を供えました。
今朝6時半から出棺のための礼拝が始まりました。牧師さんの挨拶の一部を紹介します。
「・・日本に謝罪と法的闘争を始め、1998年山口県で他の被害者たちとともに最初の法的賠償金支給判決を引き出したイスンドクハルモニを思い出します。寒い冬に花を咲かせる椿のように日帝のその残忍な凍土にも生き残り、日帝の蛮行を証言された椿の花 イスンドクハルモニ・・」
最後に参加者で手をつなぎハルモニのご冥福を祈りました。
出棺を見送っ後、私たちはバスでヤンジェの火葬場に向かいました。最後のお別れで娘さんが棺を抱えるようにしながら「お母さん、この世であんな苦労をしたのだから天国ではきっと幸せになってね。愛しています。愛していますよ、お母さん。」と涙ながらに見送られました。1時間後ハルモニは白い遺灰となって娘さんの胸に抱かれました。天安の望郷の丘に埋葬されます。私たちはご遺族にお別れの挨拶をしてソウルに戻りました。
火葬場の待合室でナビネットワークの若者たちと話をしました。以下その一部を紹介します。
「ソウルのナビネットワーク会員は約300人いるが全国にもたくさんいてその正確な数はわからない。男女比は3対7ぐらい。少女像を今も24時間体制で交代しながら守っている。韓国内で少女像撤去を言う人達は前パククネ政権支持者たちだ。私たちは日本がいけないとか韓国がいけないと言っているんじゃない。それぞれの政府が『慰安婦』問題に正面から取り組まないことを問題視しているのだ。パククネ前大統領を罷免に追い込んだのは私たち市民と学生の粘り強い闘いがあったからこそ実現できたと思っている。だから5月に新大統領が決まっても、この『慰安婦』問題がきちんと納得できる形の合意になるように、そんな政権運営をさせるように引き続き声を上げていくつもりだ。」
「日本のあなたたちと私たちがこうして今日話ができたこと、とても嬉しい。これからも連絡を取り合っていきましょう。」
ハルモニがまた新たな縁をつくってくれました。ありがとうございます、イスンドクハルモニ! 安らかにお眠りください。
2017年4月6日 都築寿美枝
李順徳ハルモニへのメッセージ 2017年4月4日 順徳さん
真っ白な御髪になられてからはお会いできてなくて、夏にはその御髪をといてさしあげたいと思っていましたのにかなわずごめんなさい。お安らかに。
T・A
李順徳ハルモニは、原告の中でも特に印象深い方のお一人でした。
今は悲しみよりも、現在の日韓関係、また日本国内の状況を見るにつけ、ハルモニに申し訳ない、情けない気持ちでいっぱいです。
ごめんなさい、ハルモニ。
ご冥福をお祈りします。
A・H
李順徳さんがとうとう亡くなられたとのこと、さびしくなりますね。
生前、彼女が花房さんご夫妻に、
「裁判に勝って賠償金がもらえたら、ごちそうするよ」と語っていたことが忘れ
られません。きさくな、かわいらしいおばあちゃんだった、という印象です。
彼女を少しでも知る者として、心よりお悔やみ申し上げます。
日韓は「慰安婦問題」をめぐっては、たいへん険悪になっており、「少女像」は
解決が見いだせない状態です。
しかしながら、李順徳さんと、花房さんはじめ、支援者の皆様方とのあいだには
そういったものを超えた、たしかな信頼と友情があったと思います。
李順徳さんがそれを感じながら余生を送っていたのなら、慰安婦問題が白日のも
とになったことは、決して無駄ではなかったと思っています。
Y・I
李順徳さん!
今日はとてもいい天気で、桜の花が一気に咲いています。
良い日に逝かれましたね。
2009年に訪韓したとき遺言のように言われましたね。「オレが死んだら光になってあんたたちの所に行って知らせるから悲しんでくれよ」
胸が痛くてたまりません。
よく頑張られましたね。
本当によく生きてくださいました。
ハルモニの笑顔がうかびます。またお会いしたいです。
E・H
心の中からの恨を晴らす事が出来ず残念だったでしょう。
私たちの力不足をお詫びします。
ゆっくりお休み下さい。
貴方の笑顔を忘れません。
E・Y
順徳さん、あなたのご生涯は地上の暴力に覆われましたが、あなはその地上に「聖なる遺産」(関釜裁判下関判決)を残して下さいました。私たちは、歴史は、決してそのことを忘れません。やがて御国で、また花房さんご夫妻のお供でお会いできます日を待っています。どうぞ安らかにお眠りください。
J・Y
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク