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日韓外相会談「合意」について


日本政府代表が被害者に直接会って謝罪と償いを

 昨年12月28日の日韓外相会談により「慰安婦」問題の解決に関する両国間の妥結が実況報道されました。ほどなく「私たちになんの相談もなく妥結したことに納得がいかない」と怒る被害者たちの姿がテレビに映され、その姿を見て韓国国民の大半も反対の意思表示をするに至りました。何が今回の日韓外相会談での合意に対して被害者たちを怒らせているのでしょうか。
まず合意の内容を見てみましょう。

岸田外相の発言
慰安婦問題は当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた問題であり、かかる観点から日本政府は責任を痛感している。安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、「慰安婦」として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負わされたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する。
日本政府はこれまでも同問題に真摯に取り組んできたところ、その経験に立って、今般、日本政府の予算により、すべての元慰安婦の方々の心の傷をいやす措置を講ずる。具体的には、韓国政府が、元慰安婦の方々の支援を目的にした財団を設立し、これに日本政府の予算で資金(10億円)を一括で拠出し、日韓両政府が協力してすべての元慰安婦の方々の名誉回復、心の傷の癒しのための事業を行うこととする。
日本政府は上記を表明するとともに、上記の措置を着実に実施するとの前提で、今回の発表により、この問題が最終的にかつ不可逆的に解決されることを確認する。
 合わせて日本政府は韓国政府とともに、今後、国連等国際社会において、本問題について互いに非難・批判することは控える。

尹韓国外相の発言
韓国政府は、日本政府の表明と今回の発表までに至る取り組みを評価し、日本政府が上記で表明した措置が着実に実施されるとの前提で、今回の発表により、日本政府とともに、この問題が最終的に不可逆的に解決されたことを確認する。韓国政府は日本政府の実施する措置に協力する。
韓国政府は日本政府が日本大使館前の少女像に対し、公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを承知し、韓国政府としても可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて、適切に解決されるように努力する。
韓国政府は、今般日本政府の表明した措置が着実に実施されるとの前提で,日本政府とともに、今後国連等国際社会において、本問題について互いに非難・批判することを控える。
以上の合意内容は、日本政府の「慰安婦」問題へ公的な認識と謝罪である河野談話に基づいて、1995年以降に元「慰安婦」被害者に実施した女性のためのアジア平和国民基金が
「道義的責任」に立って 国民から集めたお金と、政府からの医療・福祉費として合計被害者一人当たり500万円を支給しようとしたが、多くの韓国の被害者たちから受け入れられなかった反省に立ち、○「日本政府の責任」を認めたこと、被害者たちの名誉回復、心の傷の癒しの事業に国の金を出すことの2点で前進しています。
にもかかわらず被害者たちの怒りを買っているのはなぜでしょうか?


二 被害者不在の日韓「慰安婦」合意

関釜裁判の原告である李順徳(イ スンドク)さんは1994年8月、 日本政府の民間基金構想(後の女性のためのアジア女性平和国民基金)を知ると激怒して「あちこちから集めた同情のお金はいらない。日本政府の人がおらの前に来て悪かったと謝って、国のお金を出すならば喜んでもらうよ。だけど死んでからでは何にもならない。医者に行ったり服を買ったり、お世話になった人たちへのお礼もしたい」と言っていたことを思い出さずにはいられません。
自分たちに直接会うこともなく、しかも日本国を代表する安倍首相の言葉も岸田外相の伝言でしかないことに誠意が感じられなくて、被害者たちは怒っているのです。被害者にとっての尊厳の回復と心の傷をいやすには、加害国を代表する人が会いに来て心からの謝罪の言葉を態度で表明することほど重要なことはないのです。そのような行為は今後日韓両政府が協力して行う予定の「すべての被害者たちの名誉の回復と、心の癒しの事業」の中にも見出すことができません。(本来なら岸田外相に伝言するのではなく、安倍首相自らが韓国に行って直接自分の声で謝罪してほしかった・・無念です。)

一方、韓国政府は日韓合意の前提として「被害者が受け入れることができ、国民が納得できる内容であることを前提とする」と表明してきました。にもかかわらず今回の合意に対する被害者や支援者たちの強い反発は、被害者の心をくみ取る配慮と、事前の合意づくりへの努力が極めて不十分であったことを物語っています。
当事者たちの頭越しに両国政府間同士で妥結し、あまつさえ「この問題が最終的にかつ不可逆的に解決されることを確認する」とあたかも日韓外相会談で片がついたかの如き報道に怒っているのです。(しかし、「被害者たちの名誉の回復と心の傷の癒しの事業が着実に実施されるという前提」であることに注意する必要があります)


三 日本政府は被害者に直接お会いして謝罪と償いを!

すでに多くの識者も言及していることですが、日本政府は被害者たちの心に届く謝罪と償いに心を砕くべきです。被害者たちが名乗り出て謝罪と賠償を求めてからすでに20年以上が経過し、その間に大半の被害者たちは失意のうちに亡くなり、46名の生存者も李順徳さんのように寝たきりで会話も交せないほど衰えている人が少なくないのです。死者たちの無念の思いにも心した謝罪の言葉であってほしい。そのことは合意に基づいた事項ので「日韓両政府が協力してすべての元慰安婦の方々の名誉回復、心の傷の癒しのための事業を行うこととする。」に基づき、日本大使が直接被害者にお会いして、安倍首相の謝罪の言葉を伝え、そのしるしとしてお金をお渡しすることがまず第一歩の、一番大事な「事業」となるのではないでしょうか。すでに亡くなった二人の元「慰安婦」原告を含めてありし日の三人の顔を思い浮かべるとき、もし生存していて日本政府の心ある対応にあうならば謝罪とお金を受け取るであろうと思わずにはいられません。


四 さらなる真相究明と歴史の継承を

 今回の日本政府の「慰安婦問題は当時の軍の関与の下に」とする歴史認識は1993年の河野談話に基づいたものです。河野談話の最後には当時の政府による資料発掘と研究が短期のうちに行われ不十分であるとの自省に立ち「政府としても、今後とも、民間の研究も含め、十分に関心を払って参りたい」との言葉で締めくくられています。この後の日本政府の「慰安婦」問題への関心は第1次安倍内閣にみられるように河野談話の内容すら後退させる後ろ向きの「研究」に情熱が傾けられる傾向があり、被害者や世界のひんしゅくを買ってきました。
 一方民間の研究者や市民たちは新たな資料発掘に努め、1937年の中国への全面的な侵略戦争開始に伴い日本陸軍は直ちに野戦酒保規定に「必要なる慰安施設をなすことを得」と軍の施設として慰安所設置ができるように改正した新たな資料などを発見してきました。この改正に基づいて大々的にかつ組織的に慰安所が設置されていくことになります。「軍の関与」の次元ではなく軍の組織的な政策として慰安所が設置され、民間の経営者や募集業者は軍の要請と許可のもとに管理・監督されたのです。「軍の主導」の下で運用されたのです。こうした資料は政府に届けられましたが、安倍政権は河野談話を認めるのが精いっぱいで、それ以上の真相究明の意欲は極めて希薄であることが今回の談話ではしなくも明らかになったのです。
 被害者や支援者たちは安倍政府の歴史認識にも誠実さを感じられず落胆し、怒っているのです。安倍政権は「河野談話の継承」を世界に約束したのだからさらなる真相究明に努力しなければなりません。そして高校のほとんどの現行歴史教科書に載っている「慰安婦」記述が正確になるように配慮すべきです。また私たち市民も教科書会社にそうした声を届けることが大事だと思います。       


「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク (花房俊雄)

「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワークのメンバーは安倍首相と岸田外相や各政党に要請文を送っています。




 
 「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク

ロラたちとの一期一会(4)


2015年の年の瀬、慰安婦問題の解決に向けた日韓両政府による合意がなされたというニュースがネットを通じ飛び込んできた。


 マニラ恒例の花火と爆竹、大音響で大みそかの夜を過ごし、新年を迎えると、今度はネットニュースなどから韓国の慰安婦被害者や支援団体などが合意に反対しているという情報が入ってきた。こと慰安婦問題については戦後70年が経過しても、まだまだ解決の道は遠いというのが実情だろう。

やはり安倍政権が慰安婦や性奴隷という加害の事実に向き合うこと、つまり被害者らに直接聞き取りしたり、面談したりして解決の道を探ろうとしないことに、今回は一番の問題点があるのではないかと思う。


 フィリピン人で性奴隷被害を受けたロラ(フィリピン語で「おばあさん」のこと)の一人からかつて、「どうして日本政府は自らフィリピンに調査団を派遣して、被害事実について調べに来ないのか」と質問されたことがある。
首相によるお詫びの手紙や基金による支援金の支給という一種の行政手続きだけで済ますのではなく、やはり加害の事実を認めるにあたり、被害者の要望を聞き取り、被害(加害)の調査を自ら行うなど、日本政府が真剣に一人ひとりの被害者らに向き合っているという姿勢を見せることが重要なのではないだろうか。


 こんなニュースを耳にしながら、昔、撮った一枚の写真が思い出された。
レイテ島のある村で、被害者のひとりだった故レメディアス・フェリアスさんが泣きながら腰まで水につかって川を歩いている写真だ。今となっては写真を撮った正確な日時やその時の状況をはっきりとは思い出せない。
しかし、その写真を見るたびに、ロラ・レメディアスさんが当時、なぜあんなに多くの絵やキルトを作成して、日本軍によって受けた性奴隷被害の様子を克明に残そうとしたのか、その苦しい心の深淵を垣間見せられるような気持がするのだ。


 その時の現地調査は、レイテ島の農民たちに水牛を送る活動を進める市民団体「水牛家族」を主宰するジャーナリスト、竹見智恵子さんの発案で行われた。
そもそもロラ・レメディアスさんは、慰安婦支援団体「リラ・ピリピナ」で精神科医の指導を受けて、被害の様子を表現するという心理療法の活動に参加した際、自身の被害を詳細にクレヨンで紙に描き、キルトを何枚も作成することに没頭した人だった。

その作品集を日本で出版できないかと相談を受けた私がフィリピン人性奴隷被害者の支援も行っていた竹見さんに声をかけたのがきっかけだった。竹見さんはレイテ島にあるロラ・レメディアスさんの被害地を本人の案内で実際に巡ることを提案したのだった。


 大岡昇平の「レイテ戦記」でも知られる通り、レイテ島は日米両軍による熾烈な戦闘が繰り広げられ、旧日本軍だけでも配置された兵員の9割を超す8万人近くが亡くなったと言われる場所だ。現在も激戦地となった場所には旧日本軍の師団や各部隊による慰霊碑が各地に建てられ、元軍人やその遺族たちが毎年のように慰霊団を組んで巡っている。

 この太平洋戦争でも有数の激戦地で実は、多くのフィリピン人女性たちが前線の日本軍兵士たちによる性奴隷被害を受けていたという事実を、生き証人のロラから直接聞き取り、被害地を取材することで確認し、それをロラの絵日記の出版にも生かしたいというのがわれわれの希望だった。

 われわれ一行はまず、ロラ・レメディアスさんの案内でレイテ島中部のブラウエン町にある彼女の生まれ故郷だったエスペランサ村に立ち寄った。
見渡す限りココナツ林と田んぼが交互に広がり、ときどき水牛に乗った子どもや農夫の姿を目にするようなのんびりした田舎だった。数十年ぶりに現地を訪れたというロラが、なんとか昔住んでいた場所を案内してくれた。そこで村人と立ち話していると、被害当時14歳だったロラを知っているというお爺さんが現れた。ロラと現地語で話をすると確かに本人を覚えていた。

 またロラはちょうど近くにあった家の敷地を囲む鉄線の垣根を見ると、「ちょうどあんな感じだった」と駆け寄った。彼女の絵日記「もうひとつのレイテ戦~日本軍に捕らえられた少女の絵日記」(ブカンブコン発行、竹見智恵子監修)の中で描かれているとおり、当時、逃げ遅れた彼女が日本兵に捕まったのと同じ状況を説明するために、その垣根に実際によじ登り、鉄条網に太ももが引っ掛かったために捕まった様子を忠実に再現しようとしたのだ。われわれは「そこまでしなくても」とはらはらして見ていたが当時のことが思い出されたのだろう、ロラはあっと言う間に垣根によじ登ると、涙ながらに捕まった当時の様子を語ったのだ。

 その後、ロラは日本軍に連行され監禁されていた駐屯地跡であるブラウエン町の中心部にあるブラウエン小学校を案内してくれることになっていた。
車でもと来た道を引き返してブラウエン町中心部に戻る途中だった。ある川を横切るとき、ロラは突然、「ここで日本兵に殺されそうになったのよ」と叫んだ。
川沿いの道で車を降りるとロラは一人でずんずんと川に向かって歩き、そのまま水の中に入っていく。周囲には休日でしかも暑い盛りの日中だったためか大勢の村人たちが川で水遊びしたり、洗濯したりしていた。その村人たちの視線も構わず、ロラはずんずんと川の中ほどまで歩いていった。

 われわれは何が起きたのかとあっけに取られていたが、ロラは腰まで水につかりながら、「ここで日本兵に頭を水に押しつけられた。てっきり殺されると思ったのよ」と涙ながらに大声でわれわれに向かって叫んだ。当時、日本軍部隊に捕まり、輪姦された後、ロラは動物を引き立てるように手を縄でくくられて連行された。最初の川にさし掛かった時、鉄条網に引っかかった時の傷や性器から血が流れ出ていた彼女を見て、当時の日本兵が彼女の体を川に沈めて血を洗い流そうとしたのだという。

「ロラ。もういいよ。早く上がってきて。本当に溺れるかもしれないよ」とわれわれはロラを制止するばかりだった。ずんずんと川の中に突き進み、泣きながら当時の様子を再現するロラはその時、戦争当時とあまり変わらないレイテ島の故郷の景色に接し、被害の悪夢が圧倒的な現実味を持って再び立ち現われ、恐怖感で一杯になったのではないだろうか。


 ロラ・レメディアスさんの絵本はその後完成し、彼女は東京での証言集会やワークショップにも招待された。
私は東京の集会に通訳として同行した。若い大学生から社会人、高齢者まで様々な年代の人たちが参加したあるワークショップでは、ロラの絵日記を基に、参加者たちがグループに分かれ、14歳の頃の自分たちの生活や当時の夢を語り合うことで、少女時代のロラが受けた被害の深刻さを改めて心に刻むという内容だった。


東京にあるフィリピン元「慰安婦」支援ネット・三多摩(ロラ・ネット)ワークショップ・チームによる指導で、戦争中に青春時代を送った年配の方や受験勉強に明け暮れたり、恋に悩んだりした普通の若者の姿など、参加者がグループごとに率直に体験を語り合うと、当時受けたであろうロラの被害の甚大さに気づき涙する姿があちこちで見られた。
普通の証言集会ではなかなか味わえない、参加者同士の暖かい心の交流をロラも時々、微笑んで見守っていた。そんなロラが集会の最後にメッセージを求められた時だった。

彼女は感謝の言葉を述べた後、つっと立ち上がると、そのまま参加者一人ひとりに歩み寄り、握手を求めたのだった。予定にはなかった行動で、関係者はみな驚いた。しかし、小柄で白髪のロラが涙を浮かべながら会場の一人ひとりに握手を求める姿は、参加者たちに強い感動を与えた。


その時のロラの目に浮かんだ涙は、レイテ島で流したものとは違い、自分の思いを共有し罪の意識まで表明してくれた日本人参加者たちに対する感謝の念が引き起こした涙だったに違いない。


澤田公伸 (つづく)



【写真説明】

上部左ブラウエン町の川に浸かりながら当時の経験を涙しながら証言するロラ・レメディアスさん
上部右東京で開かれたワークショップの最後に参加者の一人ひとりに歩み寄り握手したり抱擁したりするロラ・レメディアスさん  
ロラ・レメディアスさんが当時の被害の様子を描いたキルトの一部分





 「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク

謹賀新年

   

      - 編集者から -


 ”日本による戦争の被害女性のことを忘れない、次世代に記憶をつないでいきたい” 
との思いで2013年5月26日に第一回目のブログ発信をして、2年と7ヶ月が過ぎました。
2016年もメンバー一同知恵を絞って頑張ります。本年もよろしくお願い申し上げます。


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「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク(妙)






 「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク


「討論会 日韓首脳会談と慰安婦問題の解決」に参加して      主催:日韓歴史問題に関する日本知識人声明の会


                     
11月20日に東京の衆議院議員会館で開かれた「日韓首脳会談と慰安婦問題の解決―安倍首相は日韓運動体の解決案をどう見るのか」という討論会の発題者として参加してきました。ほかの発題者は、企画した和田春樹(元アジア女性基金専務理事)さんと、韓国の元東北アジア歴史財団理事長で日韓の関係を冷静に広い視野で考えている鄭在貞ソウル市民大学教授でした。当日は日韓関係に強い関心のある知識人や市民、そしてマスコミの記者たちの参加が目立つ集会でした。


 集会の目的は日韓首脳会談の評価と課題をさぐり、今後の運動の方向を模索することでした。というのは、11月2日に画期的な日韓首脳会談が開かれた後も、首相や官房長官がことさら「日韓請求権協定で法的に解決済み」を強調し、ソウルの日本大使館前の少女像の撤去を前提条件としていることや、アジア女性基金のフォローアップ事業の拡充での解決を検討しているとのマスコミ報道などで、私たちのなかに安倍政権への不信と解決への困難さが広がっていたからです。
 
 「慰安婦問題の解決は可能か」(参照①)と題した和田春樹さんの発題はおおいに検討するに値するものでした。日韓首脳会談に至る両国首脳の言動と水面下での両国政府の動きを丁寧に推測しながら、6月11日に朴大統領がワシントンポスト紙のインタビューで「慰安婦問題については相当な進展があり、我々は交渉の最終段階にいる」との驚くべき発言を裏付ける展開を述べられました。そして、「解決案はすでにある」として、安倍首相が継承を公にしている「河野談話」、アジア女性基金の総括と歴史認識を踏まえ、2014年「慰安婦」問題解決アジア連帯会議で打ち出された解決案(参照②)に沿った解決を検討するよう安倍首相に決断を促しました。


現在の安倍首相は政府部内、自民党内、メディアや社会の空気の中に「慰安婦」問題の解決に向かって前進するのを好まない気分、動きがあり、年来の支持勢力に対して背信行為になるのを恐れているが、日本国の首相である限り、朴槿恵大統領との合意を無視し約束を破ってはならないとして、来年5月に東京で開かれる日中韓首脳会談までに解決を果たさなければならないと結びました。

鄭在貞ソウル市民大学教授の発言は、韓国のリベラルな知識人を代表するものでした。
冷静に相手国の「慰安婦」問題への取り組みを評価することが大事として、河野談話、金大中・小渕会談、安倍談話、そしてアジア女性基金のそれなりの誠意と被害者の同意を得なかったやり方のまずさ、韓国の官民挙げた被害者への生活保障などを挙げました。そして被害者の心のケアとして恨を解くために日本を代表する者が直接に会って謝罪するという指摘など他何点か重要な指摘がありました。


私は数日前、関釜裁判「慰安婦」原告の最後の生存者である李順徳さんをソウルの病院に見舞いました。彼女が、軍が作った慰安所でいかにレイプされ暴力を振るわれたか、戦後の生活がいかに困難であったか、そしてアジア女性基金に強く反対しながらも生きているうちの解決を強く望んできたことを伝えました。
全体として今回の集会は、「慰安婦」問題の解決への可能性と市民やマスコミの側からの働きかけの重要さを考えさせられる良い集会であったと思います。
 
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク(花房俊雄)






(関連して)
東京での討論会に参加してきました。

内海愛子さんの司会で和田春樹さん、鄭在貞さん、花房俊雄さんの お話を聞きました。
和田さんが日韓首脳会談に至るまでの経緯を概説され、 鄭さんは「慰安婦」問題が日韓関係のトゲのようになっているけれども 解決すべき・するために両国で取り組んできたことなどを評価し、不十分な点を補うべき、被害者の心のケアをすべき、恨の解消は 安倍首相が被害者に直接会い言葉をかければ可、といったことを話されました。

俊雄さんは子どもの頃のショックだった話に始まり、 関釜裁判の歩みについて、それから今週の訪韓報告を イ・スンドクさんの写真を見せられながら伝えてくださいました。
じわっと心に響いてくる内容で、東京に聞きにきてよかったと思いました。
そして、恵美子さんの訪韓報告の最後の方を読まれました。
会場でとても心を打たれました。

「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク(直)



和田春樹さんの説明と進行は大変わかり易く、今の安倍首相の、被害者たちへの想いが馳せていないところを鋭く指摘し、さらにマスコミや社会への世論強化も期待する力強い内容だと思いました。
花房俊雄さんがこれまで福岡での集会ごとに関釜裁判の被害者の方たちのことを語り伝えてこられましたが、院内集会というこの場でそれをあらためて伝える俊雄さんの、幾度となく喉に深く染み入るように話される様子に、私自身とても心に響き渡る感動があり、その時に、亡くなった被害者のお一人のお顔が目に浮かんで、少し切なくなりました。
折良く東京滞在だったことで参加できたこの討論会でした。心から感謝します。

                
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク(妙)

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 「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク

慰安婦問題の解決は可能か―日韓首脳会談を巡る状況 和田春樹




2015年11月20日に東京の衆議院議員会館で開かれた「日韓首脳会談と慰安婦問題の解決―安倍首相は日韓運動体の解決案をどう見るのか」という討論会の発題者である和田春樹氏の発題文です。

慰安婦問題の解決は可能か―日韓首脳会談を巡る状況ー和田春樹




               新刊書
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「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク

Author:「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
私たちは「慰安婦」被害者に20年あまり前に出会い、その被害の深刻さに衝撃を受けました。私たちは被害者が生存中に「解決」したいと、さまざまな道を探りながら活動し続けてきました。今も大きな課題として残る「慰安婦」問題を多くの人に分かりやすく伝え、今後このような性暴力を起さないために私たちはブログを立ち上げました。

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河野談話全文

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。  なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより

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