バタビア裁判における慰安所関係事件資料
★アジア各国の被害状況 - 2014年07月26日 (土)
ーインドネシア・スマラン事件等の裁判資料ー
表記裁判は「慰安婦」徴集が戦争犯罪として問題になり、関係者が戦犯として裁かれた唯一の事例です。(当時の連合国はヨーロッパ人女性の被害のみを裁き、インドネシアをはじめ他のアジアの女性たちの被害に関しては関心がなかったのです。)
昨年、強制動員真相究明ネットワークが情報公開させ、大量の資料の日本語部分のテキスト化を真相究明ネット会員の須磨明さんが行ってくださり、読みやすくなりました。(*1)
この資料は、被害者、関係者(証人)、加害者の尋問調書で構成され、「事件(犯罪)」の全貌がわかります。
インドネシアでのオランダ人女性の被害という特殊性がありながらも、慰安所制度の普遍的な本質がみえてきます。しかも戦後間もない時期の証言なので、記憶も確かで生々しく迫ってきます。
被告・加害者の証言や反論も「強制ではなかった」「合意であった」「知らなかった」と今に変わらぬ理屈で自らの犯罪に対する「処罰」から逃れようとしています。わずかな例外はありますが、日本軍のもつ無責任体質と暴力性もまたみえてきます。
さらに被害者の属した集団のなかの差別構造もあぶりだされています。
大量の資料ですが、是非読んでください。(最下段に掲載)
(*1) 原資料の公開経過について
1993年に行われた日本政府の「慰安婦」問題調査の資料収集に法務省が提出した「ジャワ島セマラン所在の慰安所関係の事件」について、国立公文書館が「強制動員真相究明ネットワーク」の情報公開請求に応じ、2013年に公開しました。
資料名は「BC級(オランダ裁判関係)バタビア裁判・第106号事件」及び「BC級(オランダ裁判関係)バタビア裁判・第69号事件」です。
この資料は河野談話の原資料となっています。
(外務省がオランダ国立公文書館から裁判記録を1992年7月に入手していました。
原資料は99年に法務省から公文書館に移管されています。)




(原資料より)
(*2)バタビアとは
インドネシアの首都ジャカルタのこと。オランダの植民地時代の名称。

(*3)スマラン(Semarang)事件とは
旧オランダ領東インド(インドネシア)において、1944年2月、旧日本軍によりオ
ランダ人女性が民間人収容所から約35人選別され、強制的に4ヶ所の慰安所に送ら
れ強制売春させられた。
その際、オランダ人女性は読めない日本語で書かれた同意書に署名させられ、仕事
の内容も知らされなかった。
1948年、オランダによるバタビヤ臨時軍法会議(BC級戦犯法廷)が開かれ、ス
マラン事件の被告(将校7名と軍属4名)は強かん罪などで有罪となっている。
開示資料 須磨明氏筆耕
「バタビア裁判における慰安所関係事件開示資料」
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク(恵)
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
スポンサーサイト