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バタビア裁判における慰安所関係事件資料

 ーインドネシア・スマラン事件等の裁判資料ー 
 

 表記裁判は「慰安婦」徴集が戦争犯罪として問題になり、関係者が戦犯として裁かれた唯一の事例です。(当時の連合国はヨーロッパ人女性の被害のみを裁き、インドネシアをはじめ他のアジアの女性たちの被害に関しては関心がなかったのです。)

昨年、強制動員真相究明ネットワークが情報公開させ、大量の資料の日本語部分のテキスト化を真相究明ネット会員の須磨明さんが行ってくださり、読みやすくなりました。(*1)


この資料は、被害者、関係者(証人)、加害者の尋問調書で構成され、「事件(犯罪)」の全貌がわかります。
インドネシアでのオランダ人女性の被害という特殊性がありながらも、慰安所制度の普遍的な本質がみえてきます。しかも戦後間もない時期の証言なので、記憶も確かで生々しく迫ってきます。

被告・加害者の証言や反論も「強制ではなかった」「合意であった」「知らなかった」と今に変わらぬ理屈で自らの犯罪に対する「処罰」から逃れようとしています。わずかな例外はありますが、日本軍のもつ無責任体質と暴力性もまたみえてきます。
さらに被害者の属した集団のなかの差別構造もあぶりだされています。

大量の資料ですが、是非読んでください。(最下段に掲載)



(*1) 原資料の公開経過について
1993年に行われた日本政府の「慰安婦」問題調査の資料収集に法務省が提出した「ジャワ島セマラン所在の慰安所関係の事件」について、国立公文書館が「強制動員真相究明ネットワーク」の情報公開請求に応じ、2013年に公開しました。

 資料名は「BC級(オランダ裁判関係)バタビア裁判・第106号事件」及び「BC級(オランダ裁判関係)バタビア裁判・第69号事件」です。

この資料は河野談話の原資料となっています。
(外務省がオランダ国立公文書館から裁判記録を1992年7月に入手していました。
原資料は99年に法務省から公文書館に移管されています。)

★069160★069161★069162★069163
            (原資料より)




(*2)バタビアとは
インドネシアの首都ジャカルタのこと。オランダの植民地時代の名称。

    ba無題



(*3)スマラン(Semarang)事件とは
 旧オランダ領東インド(インドネシア)において、1944年2月、旧日本軍によりオ
ランダ人女性が民間人収容所から約35人選別され、強制的に4ヶ所の慰安所に送ら
れ強制売春させられた。

 その際、オランダ人女性は読めない日本語で書かれた同意書に署名させられ、仕事
の内容も知らされなかった。

 1948年、オランダによるバタビヤ臨時軍法会議(BC級戦犯法廷)が開かれ、ス
マラン事件の被告(将校7名と軍属4名)は強かん罪などで有罪となっている。


開示資料 須磨明氏筆耕
「バタビア裁判における慰安所関係事件開示資料」



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Author:「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
私たちは「慰安婦」被害者に20年あまり前に出会い、その被害の深刻さに衝撃を受けました。私たちは被害者が生存中に「解決」したいと、さまざまな道を探りながら活動し続けてきました。今も大きな課題として残る「慰安婦」問題を多くの人に分かりやすく伝え、今後このような性暴力を起さないために私たちはブログを立ち上げました。

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河野談話全文

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。  なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより

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