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河野談話の検証結果を読んで



安倍政権は先日の6月20日、1993年に公表した「河野談話」の検証結果を国会で発表した。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000042168.pdf
河野談話検証の発端は、安倍首相と歴史認識などで通じる日本維新の会の山田宏議員が今年2月の衆議院予算委員会で「談話に裏付けはなく、(韓国への)政治的配慮で強制性が認められた」として検証を求めたのに対し、安倍政権が応じたものだ。山田議員の追求には、産経新聞などが「河野談話で示された慰安婦強制を裏付ける事実はない。唯一河野談話作成の直前に行われた元慰安婦の聞き取りのみで強制を認めた。しかし元慰安婦の証言の裏付けはなされていない。この談話は韓国の政治的な圧力に屈した政治的妥協の産物である」との長年にわたる主張が政界にまで広く影響を与えている背景がある。

以上から今回の検証には
●1993年8月に発表された河野談話作成過程での韓国政府との「すり合わせ」
●日本政府が韓国人元「慰安婦」16人から聞いた証言の談話での扱い
の2つが焦点であった。
 検証の結果は2点とも河野談話の正当性を損なわないという結論になった。

一 日本政府の主体的な歴史認識が維持された河野談話
―日韓両政府の「すりあわせ」から見えてくるものー

検証の結果、1991年韓国で元「慰安婦」の金学順さんが名乗りで、その年の暮れに元「慰安婦」3人が東京地裁に訴えた頃から、河野談話作成、さらに女性のためのアジア平和国民基金実施に至るまで日韓両政府間で頻繁に協議がなされたことが明らかになった。
「慰安婦」問題の外交的な解決に乗り出した韓国政府が被害者の声や世論を日本側に伝えるのは当然であり、両国の協議の過程で日本政府が調査の結果を曲げてまで韓国政府に妥協したような談話であったのかが検証の焦点であった。
 検証から見えてくるのは、韓国政府に「日本政府だけでなく地方や外国でも調査を行ったり、関係者の証言も聴取することが望ましい」と真相究明を徹底することを求められた日本政府が、各省庁に残っている「慰安婦」関係の資料の調査以外に、アメリカの公文書館の調査や、軍関係者、慰安所経営者への聞き取り、韓国の挺身隊問題対策協議会が発行した第1回証言集などに調査を広げ、真相究明を深めていったのがうかがわれる。

河野談話作成の過程で、韓国政府の意向・要望に日本側は「それまでに行った調査を踏まえた事実関係をゆがめることのない範囲で、受け入れられるものは受け入れ、受け入れられないものは拒否する姿勢で談話の文言について調整した」ことが明らかにされた。

慰安所の設置に関する軍の関与について、韓国側は「軍の指示」との表現を求めたが、日本側は軍の「指示」は確認できないとしてこれを受け入れず、「要望」との表現にした。
「慰安婦」募集に関して韓国側は「軍、または軍の指示を受けた業者」がこれにあたったと提案したが、日本側は確認できないとして、最終的に軍の「要望」を受けた業者との表現で決着を見た。
「慰安婦」募集の際の「強制性」についてどのような表現にするかが韓国側とのやりとりの核心であった。

日本側原案の「(業者の)甘言、強圧による等本人の意思に反して集められた事例が数多くあり」との表現に対して韓国側は「韓国国民に対して一部の慰安婦は自発的に慰安婦になったとの印象を与えることはできない旨発言し」たが、日本側は「総てが意思に反していた事例であると認定することは困難であるとして拒否した。」そのうえで、「当時の朝鮮半島が我が国の統治下」にあったことを踏まえ、「慰安婦」の「募集」「移送、管理」の段階を通じてみた場合、いかなる経緯があったにせよ、全体として個人の意思に反して行われたことが多かったとの趣旨で「甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して」という文で最終的に調整された。

また元「慰安婦」被害者16人の聞き取り調査終了前に既に談話の原案は作成されていた」ことも明らかになった。「聞き取り調査の位置づけについては、事実究明よりも・・・・日本政府の真相究明に関する真摯な姿勢を示すこと、元慰安婦に寄り添い、その気持ちを深く理解することにその意図があった」ことが判明した。産経新聞などの「被害者たちの証言に基づいて強制を認めた」との批判は見当はずれなものだったのである。

今回の検証の結果、河野談話は当時の日本の植民地支配下にあった朝鮮半島において、「慰安婦」の募集、移送、慰安所での管理において本人の意思に反した強制があったことを、一連の調査を通じて明らかにしたものである。「強制」を「軍や官憲による暴力的な強制連行」だけに限定して河野談話を否定する人たちの主張は、ためにする見当はずれの批判であることが明らかになったことは特筆されるべきであろう。

二安倍政権は何を意図して検証にのりだしたのか?

途絶していた日韓の外交がようやく好転し局長級会談が始まった段階で、韓国側の反発を見越しながら、検証しその結果を発表した安倍政権の意図はなんであったのだろう。
河野談話の前後、韓国の歴代大統領が日韓協定で法的に決着済みとの認識で「賠償を求めない」としてきたのに、現在の朴大統領が認識を変更して解決をかたくなに迫っていることへの安倍政権の反発があるのではないかと、日本側の各紙新聞は報道している。また「日本政府は何もしていない」という韓国世論に対して、韓国政府も同意した国民基金で日本政府は解決を図ろうとしてきたことを明らかにしたかったというものだ。

こうした日本政府の意図とは裏腹に、韓国世論の反発は強い。もともと「(強制連行の)証明資料はなかったと(第1次)安倍政権で閣議決定されている。新たな談話を出すべきだ」と首相就任直前に発言していた安倍政権への警戒心は強く、アメリカを先頭とする国際世論の圧力の前に「河野談話を継承する」としながら、実質的なその骨抜きを図るための検証作業であったとの見方が韓国の新聞各紙に共通している。
談話発表前、日本政府からの提案で「事前協議はなかった」との提案に同意した韓国政府は、日本政府の側が一方的に約束を破棄して事前協議の全過程を詳細に報告したことに強い不快感を示し 外交部報道官声明を通じ「日本政府が河野談話を継承するとしながら検証を行ったこと自体が矛盾した行為だ」と指摘し、「検証結果は事実関係をごまかすことで河野談話の信頼性を損なう結果をもたらす内容を含んでいる」と非難した。

こうした韓国側の反発は当然であろう。一方で国内において産経新聞などの
河野談話否定派には大きな打撃になる検証結果になった。検証結果を冷静に読めば、彼らの主張が根拠のない言いがかりであることが明らかになったからである。安倍首相は「河野談話を継承する」と従来の方針を変えた自らの変節を、
検証を通して河野談話が妥当なものであり、継承するのはやむを得いとの弁解にも使い、自らの支持基盤の維持に努めようとしているのではないだろうか。

三 日本政府はさらなる真相究明への努力を

 今回の検証は、河野談話作成に至る日韓両政府の動きを中心とした事実経過に絞ったもので、談話の内容自体の正否にまで踏み込んでいない。河野談話以後に発掘された資料や、日本が占領したアジア全域に広がる「慰安婦」被害者たちの被害事実が明らかになるにつれ、河野談話の限界も明らかになってきた。
野戦酒保規程の改正など、日中戦争以降の日本軍が、「慰安婦」制度を政策的に採用し、日本軍の「指示」により慰安所が作られた事実が解明され、軍の「関与」という次元ではない責任があることが明確になった。(当ブログの《「慰安婦」問題における軍や国の強制をどのように考えるか》を御参照ください)
また、占領地においては軍による暴力的な強制連行が頻繁に起きた事実は疑いようもなく、いわゆる軍による奴隷狩り的な強制連行も広範にあったのである。
「政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。」と河野談話は締めくくられているが、日本政府はこの点を20年以上もの長きにわたって無視してきたのである。今回の検証で当時の資料収集や研究で正当性が明らかにされた河野談話をさらに発展させ、日本国の加害責任を一層明確にさせて解決に乗り出すことが急がれる。

 
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク花房俊雄




                     
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Author:「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
私たちは「慰安婦」被害者に20年あまり前に出会い、その被害の深刻さに衝撃を受けました。私たちは被害者が生存中に「解決」したいと、さまざまな道を探りながら活動し続けてきました。今も大きな課題として残る「慰安婦」問題を多くの人に分かりやすく伝え、今後このような性暴力を起さないために私たちはブログを立ち上げました。

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河野談話全文

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。  なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより

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