インドネシアにおける「慰安婦」被害者たちはいま
「インドネシアにおける「慰安婦」被害者たちはいま」 - 2014年06月10日 (火)
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インドネシアにおける「慰安婦」被害者たちの多くが他界しつつあるいま、インドネシアではこの忌まわしい歴史の記憶とその継承を目的とした草の根の運動が、徐々にではあるが様々な人々へ受け継がれている。被害者たちは確実に地上から去っていくが、それは新しい世代へのバトンの継承として理解できる。時の流れは被害女性たちの歴史を忘却の彼方に押し流すが、日本軍性奴隷制の歴史は、良心の記憶を想起する人々によって語り継がれている。ここに「被害女性たちの今」を四つに分けて報告したい。
南スラウェシ州における元兵補の子息ダルマウィ氏が中心となって、「元慰安婦被害調査協会」を立ち上げ、かれらの父親たちが始めた仕事を完成させようと、被害者たちに対するより詳細な調査を行った。「被害者証言リスト」(2005年)には南スラウェシ州だけで1634名の被害者が登録している。この運動には関西の良心的な市民団体が協力していると聞いている。被害者の多くが既に他界しているなかで、生存者のひとりヌラ(ブキス郡出身)さんは、13歳のときの悲惨な経験を証言している。彼女は3人の学友と登校する途中で、トラックから飛び降りてきた日本兵らによって誘拐され、慰安所で12か月間にわたる性暴力を受け続けた経験をもつ。
ジャワから数十人の娘たちが日本軍に連行されて2000kmも離れたブル島(東インドネシア)に連れてこられたのが1944年のことであった。
日本が敗戦すると娘たちはブル島に置き去りにされた。脱走を試みた娘たちは島の住民によって連れ戻され、それぞれが島の男たちに「娶られて」いった(プラムディア・アナンタトゥール『日本軍に棄てられた少女たち』山田道隆訳、コモンズ)。2008年4月、エカ・ヒンドラらによってブル島の「慰安婦」被害の実態調査が行なわれ真相がかなり明らかにされた。その結果、ブル島の「慰安婦」被害者たちの老齢福祉のために、インドネシア社会省が月定給付金を与えることになった。
ソロにおける「慰安婦」被害者の写真展「ジャワの娘たち(Nona Jawa)」が写真家メイシ・シトルス氏の協力を得て、2013年3月スジャトゥモコ会館においてに行われた。二週間にわたる写真展には多くの人がつめかけた。写真展の開催を呼びかけたのはソロの女性運動家ファニー・チョティマである。こうしてインドネシアの「慰安婦」理解は若い世代の活動家たちを加えながら、少しずつではあるが、確実にインドネシア社会の地層に浸透している。
中部ジャワ・ソロを中心に活躍している若手のドキュメンタリー映画監督のスティーブ・P・スティアブディにファニー・チョティマ、エカ・ヒンドゥラらの協力で『トゥミナ』と題するドキュメンタリー映画が撮影中である。これはインドネシアで最初に自らが「慰安婦」被害者であることを名乗りでたトゥミナ(1927-2003)に焦点があてられている。
彼女は1992年新聞記者であった甥の故ゴジャック氏にはじめて自らの過去を語り明かした(木村公一「インドネシアにおける皇軍慰安婦」『福音と世界』新教出版社1992年11月号、p.48-53)。
彼女は地方紙「スワラ・ムルデカ」などを通して、社会に明確なメッセージを発信してきた女性である。「慰安婦問題と取り組む九州キリスト者の会」が中心となり、映画の撮影をかねて、トゥミナさんの墓石の建造に募金をもって協力した。映画の完成が待たれるが、日本語版の制作も私たちの課題となろう。 以上をもってわたしの報告とさせていただく。
インドネシアにおける「慰安婦」被害者たちの多くが他界しつつあるいま、インドネシアではこの忌まわしい歴史の記憶とその継承を目的とした草の根の運動が、徐々にではあるが様々な人々へ受け継がれている。被害者たちは確実に地上から去っていくが、それは新しい世代へのバトンの継承として理解できる。時の流れは被害女性たちの歴史を忘却の彼方に押し流すが、日本軍性奴隷制の歴史は、良心の記憶を想起する人々によって語り継がれている。ここに「被害女性たちの今」を四つに分けて報告したい。

ジャワから数十人の娘たちが日本軍に連行されて2000kmも離れたブル島(東インドネシア)に連れてこられたのが1944年のことであった。


中部ジャワ・ソロを中心に活躍している若手のドキュメンタリー映画監督のスティーブ・P・スティアブディにファニー・チョティマ、エカ・ヒンドゥラらの協力で『トゥミナ』と題するドキュメンタリー映画が撮影中である。これはインドネシアで最初に自らが「慰安婦」被害者であることを名乗りでたトゥミナ(1927-2003)に焦点があてられている。

彼女は地方紙「スワラ・ムルデカ」などを通して、社会に明確なメッセージを発信してきた女性である。「慰安婦問題と取り組む九州キリスト者の会」が中心となり、映画の撮影をかねて、トゥミナさんの墓石の建造に募金をもって協力した。映画の完成が待たれるが、日本語版の制作も私たちの課題となろう。 以上をもってわたしの報告とさせていただく。
(文責・木村公一)
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
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