関釜裁判の挺身隊原告ハルモニの近況
★ブログメンバーからのメッセージ - 2014年05月14日 (水)
関釜裁判の原告には戦争末期に日本の軍需工場にだまされて動員された女子勤労挺身隊の方々がおられます。今回はその中のお一人で、富山の不二越軍需工場に動員された柳賛伊(ユー・チャンイ)さん(88歳)の近況についてお知らせします。
勤労挺身隊の方は、工場で指示を受けるために日本語が出来る子が選ばれたので、70年経った今でも日本語で意思疎通が出来ます。ついついそれに甘えています。(当時朝鮮の国民学校では日本語で教育がなされていました)
他の挺身隊の方々は国民学校在学中か卒業したばかりで動員されていますが、彼女は少し年上なので、他の原告のような深刻な心身の被害(親の保護が必要な時期に「内地」での重労働と食糧不足による免疫力の低下から来る様々な病気とその後遺症)は少し免れておられます。
3月5日夕方に彼女に電話したところ、弱々しい声で「チャンイさん病気よ。寝てたよ。」「十二日間病院にいて出てきたところ。咳が出て止まらなかった。あちこち痛くて食欲がない。もう『還る』ときがきたようだ」と言われ驚きました。
再度入院することになりそうだとのことで、14日に釜山で働く日本人支援者・M君に賛伊さんの息子さんに電話してもらったところ、肺炎になり入院していて、退院したけれど、療養病院に再入院したとのことでした。あんなに気持ちよくご飯を食べる賛伊さんが食欲がないなんて相当大変なことだし、再入院というのも気にかかるので、とりあえず悔いの残らないように韓国に行くことに決め翌々日出発しました。
3月16日お昼、釜山の港に高速艇で着いて、柳賛伊さんが入院されている療養病院にお見舞いに行きました。
病院に着くと、椅子兼用の歩行補助器具を使って院内を「散歩」しておられました。
再会を喜びあってから事情を聞くと、もう食事の準備も家事もできなくなったので、家族に迷惑をかけるだけだし、息子夫婦も働いているし、孫たちも独立したので、お嫁さんを自由に楽にさせてあげたい、それで貯めていたお金を息子に全部渡し、この老人病院に入りたいと言ったとのことでした。息子さんは当然驚き反対しましたが、病院見学をしてみて、いいところだし、お母さんの決心が固いので同意してくれたとのことでした。
韓国の老人病院は政府が半額を補助してくれるので、賛伊さんの場合(8人部屋)は月額40万ウオン(約4万円)でいいので安心だし、3食食べさせてくれるし、何の心配もいらないのでよかった、料理が少し口に合わないのだけが難点だと笑っておられました。
病院は家からも息子夫婦が働く事務所からも、娘たちの家からも近く、動けなくなる前に情報収集していた彼女の自立心に驚かされました。そして、本当の意味で賢い人だと改めて尊敬しました。余りのいさぎよさ、人生の終い方に胸が熱くなります。大いなる人生の先輩です。
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク(恵)
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