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関釜裁判の挺身隊原告ハルモニの近況



関釜裁判の原告には戦争末期に日本の軍需工場にだまされて動員された女子勤労挺身隊の方々がおられます。今回はその中のお一人で、富山の不二越軍需工場に動員された柳賛伊(ユー・チャンイ)さん(88歳)の近況についてお知らせします。



勤労挺身隊の方は、工場で指示を受けるために日本語が出来る子が選ばれたので、70年経った今でも日本語で意思疎通が出来ます。ついついそれに甘えています。(当時朝鮮の国民学校では日本語で教育がなされていました)
他の挺身隊の方々は国民学校在学中か卒業したばかりで動員されていますが、彼女は少し年上なので、他の原告のような深刻な心身の被害(親の保護が必要な時期に「内地」での重労働と食糧不足による免疫力の低下から来る様々な病気とその後遺症)は少し免れておられます。

3月5日夕方に彼女に電話したところ、弱々しい声で「チャンイさん病気よ。寝てたよ。」「十二日間病院にいて出てきたところ。咳が出て止まらなかった。あちこち痛くて食欲がない。もう『還る』ときがきたようだ」と言われ驚きました。
再度入院することになりそうだとのことで、14日に釜山で働く日本人支援者・M君に賛伊さんの息子さんに電話してもらったところ、肺炎になり入院していて、退院したけれど、療養病院に再入院したとのことでした。あんなに気持ちよくご飯を食べる賛伊さんが食欲がないなんて相当大変なことだし、再入院というのも気にかかるので、とりあえず悔いの残らないように韓国に行くことに決め翌々日出発しました。

3月16日お昼、釜山の港に高速艇で着いて、柳賛伊さんが入院されている療養病院にお見舞いに行きました。
病院に着くと、椅子兼用の歩行補助器具を使って院内を「散歩」しておられました。
再会を喜びあってから事情を聞くと、もう食事の準備も家事もできなくなったので、家族に迷惑をかけるだけだし、息子夫婦も働いているし、孫たちも独立したので、お嫁さんを自由に楽にさせてあげたい、それで貯めていたお金を息子に全部渡し、この老人病院に入りたいと言ったとのことでした。息子さんは当然驚き反対しましたが、病院見学をしてみて、いいところだし、お母さんの決心が固いので同意してくれたとのことでした。

韓国の老人病院は政府が半額を補助してくれるので、賛伊さんの場合(8人部屋)は月額40万ウオン(約4万円)でいいので安心だし、3食食べさせてくれるし、何の心配もいらないのでよかった、料理が少し口に合わないのだけが難点だと笑っておられました。
病院は家からも息子夫婦が働く事務所からも、娘たちの家からも近く、動けなくなる前に情報収集していた彼女の自立心に驚かされました。そして、本当の意味で賢い人だと改めて尊敬しました。余りのいさぎよさ、人生の終い方に胸が熱くなります。大いなる人生の先輩です。

 
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク(恵)




                     
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「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク

Author:「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
私たちは「慰安婦」被害者に20年あまり前に出会い、その被害の深刻さに衝撃を受けました。私たちは被害者が生存中に「解決」したいと、さまざまな道を探りながら活動し続けてきました。今も大きな課題として残る「慰安婦」問題を多くの人に分かりやすく伝え、今後このような性暴力を起さないために私たちはブログを立ち上げました。

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河野談話全文

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。  なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより

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