中国人「慰安婦」裁判原告の李秀梅さんがおなくなりになりました
訃報 - 2014年04月15日 (火)
4月10日に中国人「慰安婦」裁判原告の李秀梅さんがなくなられました。
以下に町田法律事務所弁護士 大森典子さんからの報告をお知らせします。
以下に町田法律事務所弁護士 大森典子さんからの報告をお知らせします。
中国山西省の張双兵さんから、10日に李秀梅さんがなくなられた、との連絡がありました。
李さんは1927年生まれ、15才の時(1942年)旧暦8月に突然家に押し入ってきた日本兵に強引に家から引き出され、日本軍の拠点があった進圭村に連行され、ヤオドンに監禁されました。それから約5ヶ月間、毎日のように多数の日本兵から性暴力をうけ、ついに5ヶ月ほど過ぎたある日、特にひどい仕打ちをする「赤ら顔の隊長」に抵抗したところ、ベルトで殴打され、右目を失明しました。
さらにこん棒で頭を殴られたり、軍靴で足を蹴られたりして大けがをしました。このことを伝え聞いた兄が迎えに来てようやく解放されましたが、家に帰ってみると、彼女を取り返そうとして家を売ってまでしてお金をつくって日本軍に持って行ったのに取り返すことができなかった母親が悲観して自殺してしまっていました。
李さんは1994年に初めて日本の弁護士にこの被害を語ってから一貫して日本政府の謝罪と賠償を求めてきましたが、ついに実現しないままなくなられました。
中国人「慰安婦」訴訟(第1次、第2次)の原告となられた6人の被害者のすべてがこれでこの世を去られたことになりました。裁判所では高裁で詳細に被害事実が認定されたのに、今日に至るも解決にいたらず、ましてやこの問題をなかったことにしようとする勢力の跋扈する現状に、弁護団として、本当に申し訳ないおもいでいっぱいです。
町田法律事務所
弁護士 大 森 典 子
弁護士 大 森 典 子
李秀梅さんのご冥福を願ってやみません。
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
スポンサーサイト