中国人「慰安婦」裁判原告の李秀梅さんがおなくなりになりました

4月10日に中国人「慰安婦」裁判原告の李秀梅さんがなくなられました。
以下に町田法律事務所弁護士 大森典子さんからの報告をお知らせします。





中国山西省の張双兵さんから、10日に李秀梅さんがなくなられた、との連絡がありました。
李さんは1927年生まれ、15才の時(1942年)旧暦8月に突然家に押し入ってきた日本兵に強引に家から引き出され、日本軍の拠点があった進圭村に連行され、ヤオドンに監禁されました。それから約5ヶ月間、毎日のように多数の日本兵から性暴力をうけ、ついに5ヶ月ほど過ぎたある日、特にひどい仕打ちをする「赤ら顔の隊長」に抵抗したところ、ベルトで殴打され、右目を失明しました。

さらにこん棒で頭を殴られたり、軍靴で足を蹴られたりして大けがをしました。このことを伝え聞いた兄が迎えに来てようやく解放されましたが、家に帰ってみると、彼女を取り返そうとして家を売ってまでしてお金をつくって日本軍に持って行ったのに取り返すことができなかった母親が悲観して自殺してしまっていました。

李さんは1994年に初めて日本の弁護士にこの被害を語ってから一貫して日本政府の謝罪と賠償を求めてきましたが、ついに実現しないままなくなられました。

中国人「慰安婦」訴訟(第1次、第2次)の原告となられた6人の被害者のすべてがこれでこの世を去られたことになりました。裁判所では高裁で詳細に被害事実が認定されたのに、今日に至るも解決にいたらず、ましてやこの問題をなかったことにしようとする勢力の跋扈する現状に、弁護団として、本当に申し訳ないおもいでいっぱいです。


町田法律事務所
弁護士 大 森 典 子




李秀梅さんのご冥福を願ってやみません。
 「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク



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私たちは「慰安婦」被害者に20年あまり前に出会い、その被害の深刻さに衝撃を受けました。私たちは被害者が生存中に「解決」したいと、さまざまな道を探りながら活動し続けてきました。今も大きな課題として残る「慰安婦」問題を多くの人に分かりやすく伝え、今後このような性暴力を起さないために私たちはブログを立ち上げました。

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河野談話全文

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。  なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより

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