ロラたちとの一期一会(2回目)
連載:フィリピン便り - 2014年02月23日 (日)
ロラたちとの一期一会(2回目)
澤田公伸
(2)ガブリエラとロラたち
昨年9月に病気で亡くなられたロラ・ピラール・フリアスさんは生前、日本での証言集会などで自己紹介する時、必ずと言っていいほど「私はロラ・ピラール・フリアスです。ガブリエラ傘下のリラ・ピリピナから来ました」と「ガブリエラ」の組織名を加えることを忘れなかった。その時のロラ・ピラールさんはいつも毅然としていて、自分がこの女性運動体の一員であることに誇りを感じている様子だった。日本軍性奴隷被害者とその支援者からなるフィリピンの市民団体「リラ・ピリピナ」を傘下に持つ、この「ガブリエラ」という女性NGO連合体の歴史と、ロラたちの関わりについて少し紹介したい。
リラ・ピリピナの前身である「フィリピン人従軍慰安婦問題協議会」(TFFCW)が1992年に結成されたのは、ガブリエラのメンバーたちが1991年にソウルで開かれた国際会議に出席したのがきっかけだったことは前回触れた。女性NGO連合体のガブリエラは実はこの7年前の1984年4月に結成されている。84年当時といえば、まだマルコス大統領による独裁政権の時代。83年8月にアキノ元上院議員(現在のアキノ大統領の父親)が亡命先の米国からマニラ空港に降り立った直後に暗殺され、20年近く続いたマルコス一族による人権弾圧を伴う強権支配に抗議する学生や市民たちが各地で一斉に反マルコスの声を上げ始めた時期と重なる。84年に女性たち約1万人が全国からマニラに集結するデモ行進を行い、これを契機に学生運動や労働組合、農民組合や教員組合、都市貧困層などの市民団体に属していた女性たちが連携した運動を作り上げ、大同団結するために立ち上げたのがガブリエラだったという。
そもそも「ガブリエラ(Gabriela)」という名前は「 General Assembly Binding Women for Reforms, Integrity, Equality, Leadership, and Action」.(改革と統合、平等とリーダーシップ、そして行動のための女性連合総会議)の頭文字を取っているが、18世紀にスペイン植民政府に反旗を翻したルソン島北部イロコス地方の反乱軍を率いた「ガブリエラ・シラン」という女性戦士の名前を念頭に名づけられたことはよく知られている。ガブリエラ・シランは、スペイン植民政府の圧政に抵抗し18世紀後半に反乱を蜂起したものの後に暗殺された夫ディエゴの意思を継いで反乱軍を率いた女性だ。彼女はイロコス地方の中心都市ビガンにいたスペイン軍を攻撃したが破れ、ビガン市の中心部で公開処刑されている。馬にまたがり「ボロ」と呼ばれる鉈を振りかざして攻撃するこの勇猛な女性戦士のイメージは有名で、マニラ首都圏マカティ市のアヤラ通り沿いにも銅像として残っている。いわば、フィリピン版「ジャンヌ・ダルク」とも言えるこのガブリエラを組織名にしたこと自体、当時の女性たちが反マルコス運動をいかに覚悟を持って、戦闘的に進めようとしたかがうかがわれる。
実は彼女たちの多くは、マルコス大統領が1972年に戒厳令を布告した際、多くの男性活動家や政治家たちとともに、軍による過酷な拷問を自ら受けたり、仲間が殺されたりした経験を持っていた。このように当時、反マルコス運動に参加していた若い女性たちの多くが独裁政権や軍による暴力を直接体験していたことは、ガブリエラの結成やその後の民主化要求運動の高まり、慰安婦問題を含めた女性に対する暴力廃絶運動を推し進めるバックボーンとなっていたにちがいない。
ガブリエラはフィリピン全土の民衆組織(People`s Organization)をメンバーに抱えている。全部で200ほどのこれら民衆組織を持っていて、その一つがリラ・ピリピナ(リラ)である。リラはマニラ首都圏ケソン市に事務所兼資料センターを持っているだけなので、地方にいる日本軍性奴隷被害者のロラたちの現状は、このガブリエラの地方支部が把握している。また、マニラ首都圏在住のロラたちが在比日本大使館前やマラカニアン宮殿(大統領府)前などで行う抗議デモにも必ずガブリエラのメンバーたちが応援で駆けつけている。逆にロラたちもガブリエラが主宰したり、協賛するデモ行進などに応援で駆けつける。毎年7月に大統領が下院議会で行う施政方針演説ではガブリエラをはじめ労働組合や農民組合、教員組合など多数の運動体が駆けつけ、大きな抗議デモを国会前で行うが、これにも必ずロラたちは参加する。女性に対する性暴力だけでなく、農地改革や賃金引上げ問題、政治家の汚職や都市貧困層の強制移住問題など、フィリピン社会の根幹にかかわる様々な社会問題について、ロラたちなりに学習し、参加者たちと語り合いながら主体的に関わりを持とうとしてきた姿勢は尊敬に値する。
もう大分前に亡くなられたが、かつてリラのメンバーだったアモニタ・バラハディアさんの鋭い眼光と彼女の言葉の数々が今も鮮明に思い出される。小柄なアモニタさんは手の指の先や節々が驚くほど太かった。ごつごつした指を見て私が「どうしてこんな指に」と聞いたことがあった。その時、彼女は「これまで洗濯婦やビール瓶の洗浄などの肉体労働をずっとしてきたからね」とニコッと笑って答えてくれた。普段はにこやかに話しをするロラ・アモニタだったが、彼女が抗議集会で一旦、マイクを握ると、その眼光は一瞬にして周囲を圧倒するように鋭くなった。背筋を伸ばし、目の前にいる日本政府という大きな相手に闘いを挑むかのように、あの太い指先を何度も空中に突き出す。そして、よく通る低い声で一語のよどみもなく「正義の回復」を訴えるのだった。まるで詩を朗読しているような、時には労働運動の高名な指導者が労働者らを奮い立たせるような、そんな雰囲気を一瞬にして作ってしまうアモニタさんの演説を、私はいつもうっとりと聞いていた。一度彼女に「どうしてそんなに演説が上手なの」と聞いたことがある。そうするとアモニタさんは「まだ若い頃、工場で働いているときに、女性だけで労働争議を何度もしたのよ。私がリーダーで先頭に立ってね。その時によく演説したから」と教えてくれた。さらに彼女は「でもある時、経営側がなかなか要求を飲まないので、最後は私たちが会社の近くにあった線路に体をくくりつけて、電車の運行を止めさせると脅しをかけたのよ。そうやって要求を飲ませたこともあったわね」と武勇伝も披露してくれた。この話を聞いて私は、フィリピンの女性たちの闘いの奥深さに改めて感心させられた。

●写真説明 3年ほど前の日本大使館前でのリラの抗議集会の様子。ロラたちの背後には必ずガブリエラのメンバーらが寄り添う。
澤田公伸 (つづく)
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
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