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性奴隷制としての軍「慰安婦」制度

性奴隷制としての軍「慰安婦」制度


軍「慰安婦」とは1932年の第一次上海事件から1945年の日本の敗戦までの期間に、戦地・占領地で日本の陸軍と海軍が作った慰安所で軍人・軍属の性の相手をさせられた女性たちのことです。軍慰安所には3種類がありました。


日中戦争の初期には軍が直営する慰安所が作られました。しかし兵士たちは軍人監視の下での買春に窮屈さを感じ不人気でした。(軍政下のインドネシアにもこうした慰安所があった記録があります。)

軍が設置し、指定の業者に経営させる慰安所が主流になり、これが大多数を占めるようになりました。

民間の売春宿を軍が一時的に慰安所に指定して利用するケースもありました。


このうちの慰安所については軍の責任が特に重いと言えるでしょう。
これらとは別に、戦地の部隊が地元の女性たちを軍施設に連行して、一定期間監禁・レイプするケースが中国やフィリッピンに見られます。


当時、売春を営むことは醜業として世間で蔑まれていました。戦前まで軍は国民から尊敬される国家機関であり、軍人は公務員でした。その軍が膨大な数の慰安所=売春宿を設置するのは異様なことでした。このような例は第2次大戦に参加した列強の中でも、人権が抑圧されていたヒットラー政権下のドイツと日本だけに見られた現象です。


軍が主導した慰安婦制度

 1937年末、中華民国の首都・南京占領直後から陸軍は本格的な慰安所設置に乗り出します。各地の派遣軍の命令で、慰安所の設置が決まると戦地占領地の各部隊が現地の女性を集めるか、軍が選定した業者を内地・朝鮮・台湾に派遣して女性たちを集めさせます。派遣軍が内務省・朝鮮総督府・台湾総督府に依頼し、そこの警察が業者を選定して集めさせる場合もあります。

業者と集めた女性たちの移動で、海路を利用する場合は軍用船で運び、港からは軍用トラックで運びました。軍が接収し、改造した慰安所を業者が使います。連れてこられた女性への軍の審査がありましたが、業者によって騙されたり、人身売買で連れてこられた違法な場合でもたいていの場合黙認されて慰安所に入れられました。


 慰安所の利用規定や利用料金、利用計画などは軍が作り、性病検査は軍医が当たり、  食料や日用品の準備まで軍が面倒を見ました。
「慰安婦」制度は軍が主導し、業者は手足としてつかわれたのです。


慰安所での扱いは性奴隷

「慰安婦」問題の軍や国の責任を否定する人たちは「『慰安婦』は自分の自由意思で金を稼いでいた公娼」と主張します。果たしてそうでしょうか?
慰安所利用規定からその実態を見てみましょう。


関釜裁判で裁判所に証拠として提出した1938年3月独立攻城重砲兵第2大隊作成の常洲駐屯間内務規定・第9章の「慰安所利用規定」には、

各隊の使用日
 利用単価

    使用時間は一人一時間とす

    支那人(中国人のこと)  1円
    半島人(朝鮮人のこと)  1円50銭
    内地人(日本人のこと)  2円


 〇「慰安所において飲酒を禁ず
 〇「女は総て有毒者と思惟し防毒に関し完全を期すべし」
 〇「「営業者は酒肴茶菓の饗応を禁ず」
 〇「営業者は特に許したる場所以外に外出するを禁ず」
 〇「慰安所に至るときは各隊ごとに引率せしむべし」



となっています。

居住の自由はなく慰安所の狭い一室に閉じ込められ、外出の自由もなく、客を断る自由も、廃業の自由も明記されていません。(こうした「自由」は公娼制度で実際には難しかったが法的に一応認められていました)


 関釜裁判の一審判決で裁判官たちは「酒肴茶菓の饗応、接待もなく、ただ性交するだけの施設がここにはあり、慰安婦とはその設備の必需品のごとく、もはや売(買)春ともいえない、単なる性交・単なる性的欲望のみがここにある。そして前記事実問題で見た慰安所開設の目的と慰安婦たちの日常とに鑑みれば、まさに性奴隷としての慰安婦の姿が如実に窺われるというべきである。しかも使用単価に現れた露骨な民族差別。」と慰安婦制度の本質を的確に記しています。
                      
                「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク(俊) 



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Author:「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
私たちは「慰安婦」被害者に20年あまり前に出会い、その被害の深刻さに衝撃を受けました。私たちは被害者が生存中に「解決」したいと、さまざまな道を探りながら活動し続けてきました。今も大きな課題として残る「慰安婦」問題を多くの人に分かりやすく伝え、今後このような性暴力を起さないために私たちはブログを立ち上げました。

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河野談話全文

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。  なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより

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