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日本軍「慰安婦」問題に関する橋下発言の根本問題とは

日本軍「慰安婦」問題に関する橋下発言の根本問題とは

                               木村公一



 筆者は1986年から2002年までの17年間、インドネシアの大学で教育にたずさわりました。インドネシアにおいて日本軍「慰安婦」問題は1992年ごろから意識化されはじめました。それを機にわたしは調査をはじめ、その成果を公表してきました。去る5月13日以来の「慰安婦」問題をめぐる橋下氏(「日本維新の会」共同代表・大阪市長)の発言が国の内外から厳しい批判を浴びせられています。


橋下氏と安倍首相の歴史認識の類似性

橋下氏の「慰安婦」発言は、去年の8月22日からそのボルテージをあげはじめましたが、その論拠としたのが「強制連行を直接示すような資料はない」とした2007年の第一次安倍内閣の閣議決定でした。
 橋下氏はこの閣議決定を引用しつつ、「慰安婦」徴用の強制性を認めた河野談話について「証拠に基づかない内容で最悪」と批判しました。一方、安倍氏は産経新聞(12年8月28日)のインタビューに応えて、一連の橋下発言を「大変勇気ある発言だ」と評価し、「橋下氏は戦いにおける同志だと認識している」とまで持ち上げ、さらに、橋下氏と共有できる具体的な政策の柱のひとつに、「慰安婦」問題をはじめとする歴史認識分野などを挙げました。


そして、再び自民党が政権の座に就いた場合は、教科書で周辺諸国への配慮を約束した「近隣諸国条項」(1982年)、日本軍が「慰安婦」強制連行を行なったことを認める「河野官房長官談話」(1993年)、そしてアジア諸国に心からのおわびを表明した「村山富市首相談話」(1995年)などを見直し、「新たな政府見解を出すべきだろう」との考えを明らかにしたのでした。


ところが安倍氏は、橋下氏の「慰安婦」発言が国の内外から批判を浴びると、過去の発言を撤回せず、ただ修正を施して、橋下氏から距離をとろうとしています。したがって、橋下氏の言動だけを批判の対象とするのは公正ではないように思えます。「強制連行を直接示すような資料はない」ので「強制連行」はなかったと決めつける安倍氏の歴史認識こそが橋下氏の認識を支えているからです。
しかし、日本社会にはこの種の問題発言を生み出す文化的土壌があることも事実です。以下に、国連人権委員会の認識とインドネシアでの経験と研究を踏まえつつ、五項目に絞ってこの問題の克服の道を探ってみたいと思います。


私たちに必要な五つの認識


第一は、「慰安婦」徴用の国家犯罪を示す資料は、被害者の証言を持つまでもなく、官庁の史料室などから開示されています。
 一例として言えば、インドネシア・バリックパパンで1942年に主計中尉として活躍した中曽根康弘元首相は「……わたしは苦心して、慰安所をつくってやったこともある。」(『終わりなき海軍』)と回顧録に記していますが、その記述を裏付ける資料が、2011年10月27日、高知市の平和資料館「草の家」によって防衛省研究所の史料閲覧室から開示されました。


第二は、被害者たちの証言こそが第一級の証拠であるということです。
 筆者は被害者でなければ語ることができない証言をたくさん記録してきました。
ところが政治家や学者の中には、「官製の資料なら信じるが、民間の証言は価値がない」という信念をもつ人々が多くおられます。安倍氏や橋下氏の「強制連行を直接示すような資料はない」という発言はまさにその典型例です。言うまでもなく、被害者の証言には主観的な解釈が入り込みます。
しかし、ひとは体験した≪事実≫を解釈することによってそれを≪経験≫として理解するのです。こうして女性たちの経験は自らの解釈によって記憶の引き出しに保管されているのです。女性たちの証言は、歴史そのものの世界に立ち入るための第一級の資料なのです。


第三は、安倍氏と橋下氏の議論においては、「慰安婦」問題の本質があたかも「連行の方法」にあるかのような問題のすりかえが行なわれているようです。
「慰安婦」たちは、遠くの地で監禁され、個室で軍事力を後ろ盾にした性暴力によって性の尊厳を破壊され、自由をもぎ取られて、脱出も逃亡もできない環境に置かれました。その状態を「強制連行」と呼ぶのです。彼女たちの多くはいまも「心的外傷ストレス障害」に苦しみ続けています。


第四は、橋下氏の発言は男と女の性の尊厳を著しく破壊するものです。
 橋下氏は「〔戦場の兵士たちのために〕慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる」と言われます。この認識が彼の「風俗活用論」を支えているのです。男性は性衝動をコントロールできない、したがって「風俗業」の活用で性衝動を発散すれば、その結果、性犯罪を防ぐことができる、というのが橋下氏の独断的三大論法です。
彼は「誰だって分かっている」と言いますが、わたしには分かりません。なぜなら、これはまさに「慰安婦制度」を生み出した日本軍の論理そのものだからです。


第五は、「風俗業」と「慰安婦」制度とは、それを生み出す男性支配社会の暴力という点では同根ですが、「慰安婦」制度はその幹に国家による性奴隷制を接ぎ木した国家犯罪なのです。
 ところが、橋下氏は沖縄で「風俗業」に従事する女性たちは「日米安保条約」の担保であると考えているので、「現代の慰安婦」たちをアメリカ兵の性のはけ口として「活用」したらいいということになるのです。政治が人権と正義の実現を目的とするものならば、これは政治家による政治の放棄です。


むすび

戦後70年近く経っても、「慰安婦」問題は繰り返し蒸し返される理由のひとつは、東京裁判において、「慰安婦」強制動員を示す大量の資料が証拠採用され、判決にも反映され、わすかではあるが判決文に裁定が記されていることなどを私たちが学んでいないことです。
 もしも戦後世代が、日本軍国主義の忌まわしい国家暴力を忘却の片隅に置き去るならば、その傷は癒やされることなく、さらなる悲劇となって、次の世代に襲い掛かるでしょう。そのような自虐の道を避けるには、国民を代表する政府が「慰安婦」問題の歴史と誠実に向き合い、被害者とその遺族に対し、公式謝罪と補償を実行し、子ども世代に対し≪忘却≫ではなく、≪記憶≫の歴史教育を準備することが必要です。


それができるなら、いつの日か加害国と被害国の若者たちが、戦争という人間を狂気にさせる犯罪を克服し、和解の食卓で共に手をとり合って歌うことができるでしょう。その努力こそが加害国民である私たちの進むべき道ではないでしょうか。

                                   
                             2013/5/28 むすび項一部改訂


                    
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク




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Author:「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
私たちは「慰安婦」被害者に20年あまり前に出会い、その被害の深刻さに衝撃を受けました。私たちは被害者が生存中に「解決」したいと、さまざまな道を探りながら活動し続けてきました。今も大きな課題として残る「慰安婦」問題を多くの人に分かりやすく伝え、今後このような性暴力を起さないために私たちはブログを立ち上げました。

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河野談話全文

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。  なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより

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