「慰安所」はどうしてつくられたの?
★軍「慰安婦」制度について - 2013年05月16日 (木)
「慰安所」はどうしてつくられたの?
日本軍の慰安所制度は、1937年7月盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が本格化し、12月の南京占領直後に確立していきました。南京攻略戦から占領にかけていたるところで頻発した日本軍兵士によるレイプの凄惨さは、在南京欧米人によって世界に報道され衝撃を与えました。当然、中国国民の反日感情を激化させました。
日本軍はレイプ防止と性病予防のため、軍人の性行為を管理するシステム=「慰安所制度」をつくったのです。
いつ帰れるかわからない不安、いつ「死」が訪れるかわからない恐怖、兵站が不十分なため「現地調達」という名のもとに食料などを戦地・占領地で略奪していた兵士たちの心の荒廃などの爆発が上官に向かないように、軍は兵士に「慰安」を提供したのです。
言い換えれば、「慰安所」設置の究極の目的は、戦争を続けるために不平不満を言わず上官の命令に絶対服従してよく闘う将兵をつくりだすことにあったのです。
当時の日本警察の方針は売春に従事する目的で女性が中国に渡航するのを原則として禁止していました。国内、植民地では公娼制度によって女性の性の売買は公認されていましたが、それは「遊郭」として、一定の地域に限って性の売買を許されていました。内務省令と警視庁令により認められていたのです。
しかし、慰安所は軍が「慰安所利用規定」を作って設置・管理していましたが、国内法の規制の外にあり、公娼制度の延長ですらありませんでした。
性売買を「醜業」と呼んで「公序良俗に反する」と言ってきたのに、軍=国家が直接性欲処理施設を設置運営し、そこで働く女性を募集することは皇軍の威信にかかわることで、恥ずかしいことでした。募集に際しては「軍」が前面に出ないように配慮させています。
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク(恵)
〔以上は川田文子著「戦争と性」(明石書店)、永井和著「日本軍の慰安所政策について」他を参考にしました〕
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
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日本軍の慰安所制度は、1937年7月盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が本格化し、12月の南京占領直後に確立していきました。南京攻略戦から占領にかけていたるところで頻発した日本軍兵士によるレイプの凄惨さは、在南京欧米人によって世界に報道され衝撃を与えました。当然、中国国民の反日感情を激化させました。
日本軍はレイプ防止と性病予防のため、軍人の性行為を管理するシステム=「慰安所制度」をつくったのです。
いつ帰れるかわからない不安、いつ「死」が訪れるかわからない恐怖、兵站が不十分なため「現地調達」という名のもとに食料などを戦地・占領地で略奪していた兵士たちの心の荒廃などの爆発が上官に向かないように、軍は兵士に「慰安」を提供したのです。
言い換えれば、「慰安所」設置の究極の目的は、戦争を続けるために不平不満を言わず上官の命令に絶対服従してよく闘う将兵をつくりだすことにあったのです。
当時の日本警察の方針は売春に従事する目的で女性が中国に渡航するのを原則として禁止していました。国内、植民地では公娼制度によって女性の性の売買は公認されていましたが、それは「遊郭」として、一定の地域に限って性の売買を許されていました。内務省令と警視庁令により認められていたのです。
しかし、慰安所は軍が「慰安所利用規定」を作って設置・管理していましたが、国内法の規制の外にあり、公娼制度の延長ですらありませんでした。
性売買を「醜業」と呼んで「公序良俗に反する」と言ってきたのに、軍=国家が直接性欲処理施設を設置運営し、そこで働く女性を募集することは皇軍の威信にかかわることで、恥ずかしいことでした。募集に際しては「軍」が前面に出ないように配慮させています。
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク(恵)
〔以上は川田文子著「戦争と性」(明石書店)、永井和著「日本軍の慰安所政策について」他を参考にしました〕
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