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軍「慰安婦」の報酬はどうだったか。

軍「慰安婦」の報酬はどうだったか
  


軍「慰安所」は都市部と中国の前線や南方占領地域など形態は一様ではありませんでした。しかし漢口慰安所のように制度として確立された所では入場は切符制でした。軍人は帳場で料金と引き換えに切符を受け取り「慰安婦」に切符を渡していました。軍人たちは料金を払ったために女性たちが大金を儲けたかのような印象があったのでしょうが、被害者の証言では金銭を得ていたケースはごくわずかです。女性たちに渡すべき報酬は業者が「食料その他の物品代金」「前借金」「国防献金」などの名目で取り上げ、軍票(注1)で渡された報酬は戦後紙くずになってしまいました。

「将校より高給だった」(陸軍大将の年俸6600円)という説の根拠としてあげられるのが文玉珠(ムン・オクチュ)さんの軍事郵便貯金です。彼女はビルマに送り込まれましたが、業者はお金をほとんどくれず軍人がくれたチップが貯まっていきました。当時すでに軍票自体ハイパーインフレで額面どおりの価値はありませんでした。

ビルマと東京の物価変動を統計で見ると

物価指数(1941年12月を100とする)
年 月ビルマ
(ラングーン)
東京
1941/12100100
1943/121,718111
1944/128,707130
1945/8185,648161

出典:日本銀行統計局編『戦時中金融統計要覧』同局、1947年
(ビルマの通貨はルピーですが、1ルピーは1円とされていた)




文玉珠さんの軍事郵便貯金原簿を調べると1943年3月から45年9月まで12回の貯金の記録があります。貯金金額は26145円ですが、1945年8月時点での内地換算額は22~23円になります。
軍人は軍票がほとんど無価値である事を知っていて、文玉珠さんにチップだと言って渡していた事になります。
文玉珠さんは1992年下関郵便局に支払い請求しますが、「日韓経済協力・請求権協定で解決済み」として1円の支払いも受けられず1996年に亡くなりました。

また南方占領地、中国前線基地などでは、軍人によって拉致され、軍が接収した建物などに監禁され、継続的に強かんが行われた場合には、金銭の授受はいっさい行われていません。
          「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク (明)

                         
注(1)軍票(軍用手票)
戦争において、占領地に駐留する軍の物資の調達(徴発)や、給与の支払いなどの経費を補うために、政府によって発行された「紙幣」。本国の通貨制度とは切り離され、戦地のみで使用。敗戦により大部分は「紙幣」としての価値を失くした。


参考資料
*日本軍の慰安所政策について 永井和

http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html

*『日本軍「慰安婦」制度とは何か』吉見義明著 岩波ブックレットNo.784
*『「慰安婦」問題Q&A 「自由主義史観」へ女たちの反論』アジア女性資料センター編明石書店
*『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』吉見義明・川田文子編著 大月書店






                   「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
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「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク

Author:「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
私たちは「慰安婦」被害者に20年あまり前に出会い、その被害の深刻さに衝撃を受けました。私たちは被害者が生存中に「解決」したいと、さまざまな道を探りながら活動し続けてきました。今も大きな課題として残る「慰安婦」問題を多くの人に分かりやすく伝え、今後このような性暴力を起さないために私たちはブログを立ち上げました。

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河野談話全文

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。  なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより

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