韓国の関釜裁判の原告ハルモ二たちに会いに行ってきました。



11月16日の朝10時半、福岡から釜山・金海空港に着いて、迎えに来てもらったM君と柳賛伊(ユ・チャンイ、不二越 勤労挺身隊原告)ハルモニ(写真左側)が入院している海雲台の老人病院に行き、賛伊さんと再会を喜びあいました。



お昼に賛伊さんの息子さんが来てくれて、近くの魚市場の地下でお魚をご馳走になりました。 普段生魚は食べないのですが、ここのお刺身はあまりに美味しくて自分でも驚くほどたくさん食べました。
名前は忘れましたが、近くの海岸で海を眺めながら岸壁に座ってコーヒーを飲みながら5人(賛伊さん親子、M君、花房2人)でお話をして、息子さんは仕事に戻られ、私たちは再度老人病院に行って話し合いました。
M君が一緒だったので、息子さんとの会話も弾み楽しい時間でした。

韓国では、戦時中の徴用工の韓国裁判での勝訴がマスコミで取り上げられているので、自分たち(勤労挺身隊)のことはどうなっているのかとの質問に答えるための話し合いでした。

「最初から解決すべきだったのにそうしなかったからこじれている。
戦争が終わった時は自分の国に逃げるのが精一杯で、自分の年では、給料や貯金をもらうこともわからなかった。
帰ったら朝鮮戦争が起きて、人並みでない苦労をして、その当時にいくらかでも"お疲れ様"と言われていたら、何も言わないでいたと思う。
忘れようとしていたけれど金文淑会長(挺身隊問題対策釜山協議会会長)の呼びかけ(1991年の申告電話)があったので 、日本政府が何もしてくれないのはおかしいと思い、呼びかけに応じた」
「日本政府は少女像を撤去したら"妥結する"というけれど、何もしなくて相手が"したらする"という話は失礼だ」
「日本の下関で裁判するとき、弁護士が裁判が終わるまで5~6年かかると言い、そんなに時間がかかるのかと驚いたが、もう22年も経ってまだ裁判(韓国で)している。いつ終わり、解決するのか?」
と何度も言われました。

応答の難しい質問で、自分たちの非力に嘆息せざるを得ませんでした。
しかし、89歳の賛伊さんはますますしっかりされていて、真っ直ぐ生きる姿勢に学ばされます。



金文淑さんを歴史資料館に尋ね、お疲れの彼女と少し話をしました。
88歳なのにフルタイムで事務所に詰め、当日は釜山の高校で100人ほどの学生に慰安婦問題の話をしてきたとのこと。
凄いとしか言いようがありません。



朴順福(パク・スンボク 不二越 勤労挺身隊原告)ハルモニとは娘さんの仕事の都合で夜にお会いしました。
ますます体調が悪く、耳も聞こえなくなって娘さんに引き取られて同居しておられます。

医者は入院するように勧めるらしいけれど、不眠症なので同室者がいるところには入れないとのことで、娘さんがお世話されています。
ご飯を食べず、麺を少し召し上がるだけだそうで、かなり痩せておられました。
会話は「柳賛伊さんはお元気!」
「あの人はよく食べるから」
(リンゴと柿をむいてもらっていたので)「食べなさい」
この3つの言葉が順番に出てきて、その間には日本の歌を歌って楽しそうにしておられました。

最初お会いした時は痩せておられたのでびっくりしましたが、表情が良かったので安心しました。 聞くと、私たちが来るというので髪もよくとかし、キチンと服を着ておしゃれをしていたとのこと。
訪問することを喜んでもらって嬉しいことでした。
明るくエネルギッシュな娘さんとの暮らしは順福さんに穏やかな日々をもたらしていると感じました。



急遽、ソウルの李順徳(イ・スンドク 「慰安婦」原告)さん(写真右側)のお見舞いに行くことにして、韓国新幹線KTXで釜山ソウルを往復することにしました。
翌17日10時過ぎにソウル駅でTさんと待ち合わせをして、順徳ハルモニの入院する病院へ。
昨年、お見舞いしたときよりも顔色も良く落ち着いておられました。
挺対協ニュースによると、ハルモニが「ご飯を食べさせろ!」と叫ばれるので流動食の量を増やしたとのこと。
彼女の生命力に感動しました。
寝たきりで時々少し目を開けられるくらいで会話は出来ませんが、「痛い!」とか、「かゆい」とかの意思表示はされるので、意識がないわけではないようです。

もう私たちのことは覚えておられないだろうとおもいつつ、帰るからと声をかけると、手を握り返してくださって、
電流に当たったようにしびれ、驚きました。

毎日病院にお見舞いに来ているという娘さん(順徳さんの亡夫の連れ子、順徳さんが育てた)との別れの挨拶の時に、急に自分の服から病院のにおいと一緒になった順徳さんの体臭が立ち昇ってきて涙が出そうになりました。
それは、彼女からの「私はここに生きている!」というメッセージのように感じました。



ソウル滞在は実質2時間半でしたが、言葉はかわせなくても会いに来て良かったと思いました。

97歳の順徳ハルモニの穏やかな顔を思い出しながら、彼女は生かされていると感じないわけにはいきませんでした。
彼女の枕元に日本政府を代表する人が来て深々と謝罪する姿を想像します。
そして彼女が大きな声で「バカヤロー!」という声も聞こえてきそうです。
夢で終わりませんように・・・・・



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Author:「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
私たちは「慰安婦」被害者に20年あまり前に出会い、その被害の深刻さに衝撃を受けました。私たちは被害者が生存中に「解決」したいと、さまざまな道を探りながら活動し続けてきました。今も大きな課題として残る「慰安婦」問題を多くの人に分かりやすく伝え、今後このような性暴力を起さないために私たちはブログを立ち上げました。

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河野談話全文

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。  なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより

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