10月12日 映画会のお礼と報告



戦後70年企画第二弾  ~ 私がいたことを忘れないでほしい ~

班忠義監督「太陽がほしい」と土井敏邦監督「“記憶”と生きる」の上映会が皆様のご協力で無事終了することができました。心からお礼申し上げます。祝日の朝10時から終了が午後7時という長時間にも関わらす、熱心な参加者に主催した私たちは大いに勇気づけられました。午前の部の入場者は約170名(学生数十名を含む)、午後の部もそのまま残られた方も多く、「慰安婦」問題に改めて関心を持たれたと思われる方々の参加がありました。

 二人の監督は映画制作の背景を語られ、私たちの社会が現在抱えている問題点を指摘されました。「慰安婦」問題を通し過去と現在、未来に対し私たち一人ひとりに重い宿題を出された映画でした。



班忠義監督「太陽がほしい」

前作の「ガイサンシーとその姉妹たち」は中国山西省における戦時性暴力被害者たちと元日本兵の証言が主になっていたが、その事実に加え今回はより大きな枠で「慰安婦」問題をとりまく社会全体が描かれていました。
加害を認めようとしないのは一般の人にとどまらず、国家権力が立ちはだかっている現実を貴重なフィルム証言で私たちに示してくれました。
監督は「私を“監督”にしてくれたのはおばあさんからのプレゼントである。そして名もない人たちのカンパが折れそうな気持になった時支えてくれた。中国での取材は政治体制から特別な困難があったが、その中でこのような作品が出来上がりました。」と話されました。


土井敏邦監督「“記憶”と生きる」

映画は最初から最後までナレーションも音楽もない、証言者の肉声だけで構成されていました。監督はその意図を「慰安婦」というマスではなく名前と顔と声とそれぞれが違った個人である事を分かって欲しかった。個人を見れば自分だったらという想像力や痛みへの共感性が生まれる、と言われました。映画は「ナヌムの家」で生活を始めたおばあさんたちの証言で「慰安婦」被害の実態と戦後どのように生きてきたのか、が語られます。被害者は戦後、差別と貧困の中で屈辱感を抱えたまま生きてきた苦しみを一人ひとり自分の言葉で語ります。それが「“記憶”と生きる」というタイトルに繋がります。
土井監督は1994年から1997年にかけて記録した映像を今年映画化するきっかけとして二つの出来事を上げられました。ひとつは橋下大阪市長の発言と安世鴻「慰安婦」ニコン写真展の中止事件です。韓国人の安世鴻氏が写真展を開くため闘っている姿に本来日本人こそがすべき仕事ではないかと、撮りためたフィルムを映画にする事を決心した、と語られました。

二つの作品には期せずして万愛花さんと姜徳景さんが息を引き取られる直前の場面が記録されていました。彼女たちは病床で最期まで尊厳の回復を願い日本の責任を問い続けました。お二人の監督が被害に遭った彼女たちの言葉を後世にまで伝えるよう記録し残してくださったことに感謝し、多くの人たちに見て頂きたいと思いました。


アンケート(34枚)より抜粋 

・中国の「慰安婦」の方たちについてはよく知らなかったので、班監督の熱意、思いに頭が下がります。
・万愛花さんの「私は慰安婦ではない」「真実がほしい、死んでも魂となって闘っていく」という言葉が忘れられません。
・1990年代日本の支援活動~2000年代のことまで知ることができた。
・極端な被害を強いられた女性たちの人権を問う事を生涯の使命とされた班さんに最大の敬意と感謝を捧げます。
・被害をうけたお一人お一人が戦後の苦難を生き抜いてこられた事に感銘を受けました。
・証言を淡々と積み重ねているだけのようで一秒たりとも目を離せない力のあるものとなっていました。ずっしりと重いものが、体の中に残りました。
・心と身体に傷を受け未だ癒されることのない憤りに心震える思いです。


アンケートに答えて下さったほとんどの方が今の安倍政権のもとで進む日本の将来に危機感を抱かれ、自分のできる事をしていきたいと結ばれていました。

戦後70年企画第二弾として開いたこの映画会は第一弾と同じく「慰安婦」問題を中心に据えながら日本が分岐点に立った年として問題提起をしてきました。今後それぞれの場所で時代に立ち向かっていきたいと思います。


「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク(明)



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Author:「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
私たちは「慰安婦」被害者に20年あまり前に出会い、その被害の深刻さに衝撃を受けました。私たちは被害者が生存中に「解決」したいと、さまざまな道を探りながら活動し続けてきました。今も大きな課題として残る「慰安婦」問題を多くの人に分かりやすく伝え、今後このような性暴力を起さないために私たちはブログを立ち上げました。

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河野談話全文

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。  なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより

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