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【訃報】 フィリピンのロラ・バージ―さん(ロラ・ビルヒニア・ビリャヌエバさん)



当ブログに「フィリピン便り」を投稿してくださっている澤田公伸さんから、ロラ・バージ―さん(ロラ・ビルヒニア・ビリャヌエバさん)の訃報と、お通夜の様子が届きましたのでお知らせいたします。






リラ・ピリピナを支援してくださっている皆様



マニラ在住の澤田です。
いつもリラに支援いただきありがとうございます。



  昨日、1月17日にリラ・ピリピナの共同代表だったロラ・バージ―さん(ロラ・ビルヒニア・ビリャヌエバさん)のお通夜にリラのメンバーと一緒に参加してきました。その時の様子を写真とともに簡単に報告させていただきます。 ロラ・バージ―さんは今月10日に肺炎で亡くなられました。享栄85歳でした。12月26日から入院されていたのですが、病院での治療の甲斐なく旅立たれました。



今回のお通夜に参加したのはナルシサ・クラベリアさん、フェリシダッド・デロスレイエ スさん、ヒラリア・ブスタマンテさんの3人のロラと、ロラの娘や孫娘からなる組織「パマナ」のメンバー5人、そしてリッチーさんと長男一家3人、補助スタッフのミリンダさんたちです。あと、近所に住むオルテンシア・マルティネスさんは前もってお悔みに来ていたそうです。ロラ・バージ―の家族がスマートフォンで撮影した映像では、ロラ・オルテンシアさんは歩行補助器を使うなど少し不自由ながら、それでも自分の足で歩いてきて、ロラに最後の別れを告げられていました。


ただ、やはり同じナボタスのダガットダガタン地区に住むロラ・エステリータ・ディさんはまだお通夜に来られていませんでした。体調が悪いということで、リッチーさんたちも大変、心配されていました。 ロラの棺には若いころの写真やたくさんの子や孫たちの名前、リラ・ピリピナの新しい横断幕が貼り付けられていました。
ロラ・バージーの遺言で、リラ・ピリピナの横断幕を棺に一緒に入れて埋葬するそうです。リラ・ピリピナや日本のJCFCWから届けられた花輪なども一緒に飾られていました。

お悔みでは参加者たちがひとりひとりロラ・バージ―さんへのメッセージや思い出話しを発表しました。 リッチーさんは「ロラ・バージーは闘い続けた女性だった。都市貧困住民グループによる土地獲得闘争のリーダーとして、貧しい日々を生き抜く母親として、そしてリラの正義を求める闘士として。リラで唯一、運動体の方針について理解しているロラだった」と 偲びました。
ロラ・ナルシサさんたちも同志を失った悲しみを訴えていました。

ロラ・バージ―の息子2人と娘さん2人も同席して、いっしょに思い出を共有しました。
外国貨物船の船員をしている長男のジョエルさん(50)は「母親は本当にいつも闘っていた。私が大学を卒業できるよう、縫製の仕事に加えて、町の道路清掃員の仕事まで引き受けて支援してくれた。リラの活動にもっと参加できるよう子供としてもっと支援してあげたかった」と涙ながらに話しておられました。

ご家族によると、ロラ・バージ―さんは戦争の影響で小学校1年生しか出ていないそうですが、フィリピン語の詩を自分で作ったり、詩を朗読することがとても好きだったそうです。リラ・ピリピナが作って、ロラ・バージ―が集会などでよく朗読していた詩のひとつをお孫さんがお通夜で朗読してくれました。自分たちの国や資源が少数の特権階級によって支配され、搾取されているのを嘆き、農民や漁民、都市貧困層たちが団結して闘うことの大切さを訴える内容でした。

私たちがお悔みの集会をしている間、近所の人たちが回りの机でトランプの賭け事をしてにぎやかにしていました。 これはフィリピンの習慣で、長いお通夜の期間、近所の人や知人が集まり賑やかにして故人を送ると同時に、場所代などを遺族に寄付し財政支援するという意味もあります。マニラの下町で子供や孫たちを育て上げたロラにふさわしい最後のお見送りなのかもしれません。
また、たまたまロラのお通夜が行われている間にローマ法王フ ランシスがフィリピンを訪問されました。
ロラの埋葬式にあたる今日18日には、午後3時すぎからマニラ市リサール公園で法王主宰の最後のミサが行われる予定で、全国から約600万人の信者が集まるとみられています。今朝テレビで実況中継していたサントトマス大学での若者向けのミサで法王は、台風被災地のレイテ島で最近亡くなったボランティアの若い女性について話され全員で黙とうと祈りを捧げていました。「人は必ず土に帰る。苦しんでいる人に寄り添う精神を発揮してほしい」と若者たちに訴えかけていました。

ロラ・バージーさんの魂はローマ法王の祝福も受けたに違いないでしょう。
ロラの意思を継いで闘うリラ・ピリピナの支援を、今後も続けたいと思いま す。



澤田公伸




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Author:「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
私たちは「慰安婦」被害者に20年あまり前に出会い、その被害の深刻さに衝撃を受けました。私たちは被害者が生存中に「解決」したいと、さまざまな道を探りながら活動し続けてきました。今も大きな課題として残る「慰安婦」問題を多くの人に分かりやすく伝え、今後このような性暴力を起さないために私たちはブログを立ち上げました。

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