朝日新聞の「慰安婦」問題検証記事について考える
★ブログメンバーからのメッセージ - 2014年10月06日 (月)
8月5、6日の2回にわたって各々2面の記事に対して私は唐突な感じを受けました。
そのように感じたのは、なぜかと考えました。
私がこの福岡の「慰安婦」問題の活動に参加したのは2000年の半ばでした。
ここで「慰安婦」被害者に寄り添い、彼女たちの尊厳をいかに守るかということを、先輩、仲間、被害者の証言から学びました。同時に吉田証言は、「慰安婦」問題に関わる様々な立場の人も、この証言は吉田清冶の作り話だということは周知されていることだと受け取っていたからです。又この朝日新聞の記事には様々な意見や批判に対して答えるという趣旨だと受け取りました。つまり、批判や意見を言った方たちに向かって書いた記事ということになります。新聞という開かれたメディアであるはずなのに一部の人に向かって記事が書かれていると感じたのです。
そこで、元新聞記者であった人と議論をしました。
そこでの互いの認識として、朝日新聞の謝罪記事を書いた勇気に対して評価すべきではあったが、謝りを正すのであればもっと潔く謝罪することと、「慰安婦」問題に対して資料などをきちんと検証して(新しい資料を探したり)、問題解決への姿勢を明確にするという決意があいまいだったのではないかということでした。
また、この朝日新聞に対して口汚く非難する他のメディア(部数という数字のみに重点をおいている)については、このような対立関係は従来からあったけれど、この劣悪さは今までになかったということでした。そして、もし朝日新聞が潰れるという事態になることは、どの立場を取るかとは別にして日本社会の大きな損失になるのではないかという見解で一致しました。
しかし、読む私たちもメディアも、読む力書く力が低下しているのではないかと指摘されました。最後に他の国が戦時性暴力を行なっていたという事実があったとしても、日本の「慰安婦」問題の免罪符にはならないという意見に、私たちの活動は微々たるものではあっても前へ進んでいくことが大切なのだと思いました。
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク(紀)
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
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