2013年10月のエントリー一覧

  • 「慰安婦」問題における軍や国の「強制」をどのように考えるか

    はじめに 日本軍「慰安婦」問題は、今や日韓の最大の外交課題となり、首脳会談も開かれない断絶状態に陥っています。それ以上に深刻なのが「慰安婦」問題の解決と歴史認識を巡る対立が、両国のナショナリズムを高め、双方の国民の間に相手国への嫌悪感が広がっていることです。 このような背景の一つに、日本国の「慰安婦」問題への歴史認識である河野談話が外交的な解決を急ぐあまり、資料収集と実態調査が不十分なまま書かれて...

  • 「慰安婦」問題 波及阻む - 政府、東南アジア調査回避

    「慰安婦」問題 波及阻む - 政府、東南アジア調査回避           (朝日新聞 2013年10月13日より)日韓で「慰安婦」問題が政治問題になり始めた1992年~93年、日本政府は真相究明よりも他国への問題拡大を阻止するため、韓国で実施された聞き取り調査を東南アジアでは回避していた事が情報公開で分かった。極秘公電によると外務大臣からフィリピン、インドネシア、マレーシアにある日本大使館に「関心を徒に...

  • インドネシア   スリ・スカンティさん の場合

    中央ジャワ、プルウォダディ郡に生まれたスリ・スカンティ(1934生まれ)は郡長の12人兄弟の末っ子で、姉妹たちの中で最も美しい少女でした。周辺の村々の若者たちに間でこの美少女を知らない者はいなかった。 1943年、インドネシア民衆は日本軍政下で、経済的にも社会的にも苦難の日々をおくっていた。ある日、日本軍の将校が2名の副官と村長を連れて、グンディ村の国民学校(SR)で学ぶ9歳になったスカンティのもとにやって来た...

  • インドネシア  ヌラ(Nurah 南スラウェシ州・ブギス出身)の場合

    ヌラは6人兄弟の第三子である。彼らはみな共に母親と暮らしていた。ヌラがまだ母親の胎内にいたとき、父は病気で他界したので、彼らはみな母親に育てられた。ヌラと年上の兄弟たちと共に、小さい時から畑で一所懸命はたらく母親を助けことの好きな少女でした。子どもたちは町の人々の好きな「豆ご飯」を市場で売っては生活の糧にしていました。家の家計に少し余裕がでてきたのはヌラが12歳の時でした。母親はヌラを国民学校に通わ...

  • 【訃報】ピラール・フリアスさんご逝去

    訃報 - 2013/10/05

    フィリピンの元従軍「慰安婦」のピラール・フリアス(86歳)さんが、9月27日午前3時55分に、リサール州アンティポロの自宅で家族に看取られながら逝去されました。              フリアスさんは、元従軍「慰安婦」の支援団体のリラ・ピリピナに所属して、1993年に日本政府を相手にした賠償請求訴訟(2003年に最高裁で棄却)の原告(46人)のお一人でした。 今年、フリアスさんは8月5日から10日間ほどの日本各地の証言集会...

  • 台湾における性暴力被害

     日本による植民地支配のはじまり1895年、日本は日清戦争の結果、下関条約で台湾を植民地としますが、台湾住民(中国大陸から移住した漢民族と原住民族(注1))の強い抵抗を受けます。日本は台湾総督府を置き抗日ゲリラを武力で押さえる一方日本語教育による「同化主義」に力をいれます。原住民には「公学校」や「蕃童教育所」を設置し警察官が教師になり、日本語の普及と皇民化教育が行われました。原住民に対する日本語教育は...

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「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク

Author:「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
私たちは「慰安婦」被害者に20年あまり前に出会い、その被害の深刻さに衝撃を受けました。私たちは被害者が生存中に「解決」したいと、さまざまな道を探りながら活動し続けてきました。今も大きな課題として残る「慰安婦」問題を多くの人に分かりやすく伝え、今後このような性暴力を起さないために私たちはブログを立ち上げました。

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河野談話全文

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。  なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより

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