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カテゴリ:★中国の証言者たちのエントリー一覧

  • 趙潤梅(Zhao Runmei)さんの証言

    趙潤梅(Zhao Runmei)   1925年盂県西煙鎮南村生まれ 2008年永眠                        私は1925年山西省盂県西煙鎮南村で三人姉妹の長女として生まれました。私が3歳の時、母は下の妹を産んだ後に亡くなり、私は養父母に預けられることになりました。養父母の家には義理の兄が二人、姉が一人いましたが、皆仲が良く私をかわいがってくれました。【それは数え年17歳の早春のことでした】...

  • 南二僕 (Nan Erpu) さん (証言は養女 楊秀蓮さん)

    南二僕 (Nan Erpu)                     1923年 盂県南頭村生まれ 1967年自死 証言は養女 楊秀蓮  【養母・南二僕の遺言】 私・楊秀蓮は1964年生まれで、生後70日ほどで楊喜順、南二僕夫婦の養女になり、育てられました。数えで13歳くらいだった小学校3年生の時のことです。「憶苦思甜(昔の苦しみを思い 今の幸せをかみしめる)」の大会があり、河東村の李春富という老人が「抗日戦争の時代に盂県城...

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「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク

Author:「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
私たちは「慰安婦」被害者に20年あまり前に出会い、その被害の深刻さに衝撃を受けました。私たちは被害者が生存中に「解決」したいと、さまざまな道を探りながら活動し続けてきました。今も大きな課題として残る「慰安婦」問題を多くの人に分かりやすく伝え、今後このような性暴力を起さないために私たちはブログを立ち上げました。

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河野談話全文

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。  なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより

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