はじめにお読みください

私たちは関釜裁判(韓国・釜山とその近郊に住む元日本軍「慰安婦」と元女子勤労挺身隊の方々が日本国を相手に下関の裁判所に訴えた裁判)を支援してきたメンバーが中心となり、女性問題や戦争責任問題を考えてきた人々とともに行動しています。日本による戦争の被害女性のことを忘れない、次世代に記憶をつないでいきたいとの思いでこのブログを開設します。

※当サイト内の文章・写真等の無断転載・転用を禁止します。
                 2013年5月16日
     「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク




「バタビア裁判における慰安所関係事件開示資料」
「慰安婦」問題における軍や国の「強制」をどのように考えるか
河野談話の検証結果(2014年6月発表)を読んで

スポンサーサイト

読んでみませんか




『「慰安婦」問題の言説空間~日本人「慰安婦」の不可視化と現前』
 勉誠出版(2017年)




このブログメンバーである木下直子さんが自身の博士論文を大幅に加筆して上記本を出版しました。
どれだけの人に会いどれだけの本を読んで思索を深めて行ったのかと思わずにはいられないほどの充実した内容で、彼女の真摯さがうかがえるオリジナルな執筆方針の著作です。
そして複雑に絡まった「慰安婦」問題の現況に対し、整理しつつ思索を深めた勇気ある仕事と言えます。
困難な仕事に精魂を傾けた木下さんに敬意を表するとともに、多くの方々に是非読んでほしい本だと思います。



目次
はじめに
序章 「慰安婦」問題へのアプローチ
1.「慰安婦」問題再考―日本人「慰安婦」に注目して
2.日本人「慰安婦」をめぐる議論
3.「慰安婦」制度をめぐる先行研究
4.本書の構成

第1部 〈従軍慰安婦問題〉の構築
第1章 戦後の「慰安婦」言説―社会問題化以前
1.「慰安婦」の記憶と〈強制連行〉の問題化
2.国会で語られた「慰安婦」
3.ルポルタージュの登場
第2章 言説空間の拡大―社会問題化の諸相
1.韓国フェミニズム運動による告発と社会問題化
2.新聞・雑誌にみる〈従軍慰安婦問題〉
3.政治・外交問題としての〈従軍慰安婦問題〉
4.言説空間の振り返り

第2部 社会運動の「慰安婦」言説第3章 一九七〇―八〇年代フェミニズム運動の「慰安婦」言説
1.〈加害者〉日本人の主体化
2.ウーマン・リブ運動の「慰安婦」テクスト
3.侵略=差別と闘うアジア婦人会議の「慰安婦」テクスト
4.サバイバー被害者=生存者への想像力
第4章 「慰安婦」問題解決運動の言説空間―一九九〇年代初頭を中心に
1.運動の言説空間と日本人「慰安婦」
2.運動関係者が経験した〈従軍慰安婦問題〉

第3部 日本人「慰安婦」の被害をとらえる
第5章 日本人「慰安婦」被害者の語り
1.日本人「慰安婦」被害者の語り
2.城田すず子のテクスト
第6章  日本人「慰安婦」の被害者性
1.被害を不可視化するメカニズム
2.ナショナリズムと性を再び問う
補 論

参考文献
あとがき


   
    23055.jpg  




「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク(恵)




 「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク


訃報 :李順徳ハルモニ


4月4日午前7時半頃 関釜裁判の「慰安婦」原告・李順徳さんがソウルの病院で亡くなられました。享年99歳でした。


ソウルでの葬儀には日本から福山の都築さんと福岡の緒方さんが参列しました。
福岡から葬儀に駆けつけることができなかったメンバーより、ハルモニへのお別れの言葉を寄せ書きにしハングルに訳して持って行ってもらいました。
李順徳ハルモニ!ありがとうございました!安らかにお眠りください!


                  IMG_2028.jpg


追悼 :李順徳ハルモニ ーソウルでの葬儀に参列して


 昨日のイスンドクハルモニのお葬式(追悼祭)に参加し、今朝の出棺から火葬場までお供しました。福岡の関釜裁判を支援する会の緒方さんと一緒でした。会場のセブランス病院葬儀場には若者の弔問の列が後を絶たず、追悼祭が始まっても式場に入れず外で待機する人たちもいるくらいでした。式場には韓国の国会議員や運動団体の花輪に加えて、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動を始め福岡や福山の関釜裁判を支援してきた諸団体やスンドクハルモニと特に親しかった花房俊雄・恵美子ご夫妻からの花輪が飾られていました。「自分が死んだら綺麗な花で飾ってくれ。」というハルモニの願いに沿うような静かで淡い色合いの花々でした。納棺は家族親族だけで行います。私は前日大学の平和理論の授業で友達に協力してもらった折り鶴と福岡のみなさんからのお別れの言葉を預けて、ハルモニのお棺に入れてもらいました。

 追悼祭はスンドクハルモニが好きだった賛美歌をみんなで歌い始まりました。ユン・ミヒャン挺対協共同代表の「日本軍『慰安婦』問題が完全解決していない状況でハルモニを送り出すことに断腸の思いです。壮絶な『慰安婦』体験をしたハルモニは決して惨めではありませんでした。勇気を出して名乗り出て、日本政府の責任を問う関釜裁判を闘ってこられたハルモニ、若い人たちへの奨学金を作ってくださったハルモニの人生は立派で光に照らされたものでした。ハルモニの笑顔が私たちをつなぎ、私たちに次の闘いのバトンを渡してくれたのです。」という挨拶に会場の若者たちは一つ一つ頷いていました。

テーグム(韓国の横笛)の調べに合わせてイスンドクハルモニが辿ってきた道が紹介されました。福岡から参加した緒方さんは日本から預かってきた支援者たちのメッセージを代読し、ついには感極まり最後は嗚咽になりました。会場からもすすり泣きの声が聞こえます。最後に娘さんがお礼の挨拶をされました。「みなさん今日は母のためにこうして集まってくださり、ありがとうございます。母は生前自分が死んだらお前一人になるのが心残りだと私のことを心配してくれました。でも私は一人ではありません。母を支えてくれた皆さんがこんなに大勢集まってくれて、私は一人ぼっちだとは思いません。
実は母は本当の母ではありませんでした。でも母は私にありったけの愛情を注いでくれて、私が一人前の家庭生活ができるようにしっかりと育ててくれました。
母が『慰安婦』だったことを知ったのはそんなに早い時期ではありませんでした。母がテレビを見ていたときその話が出て初めて話してくれました。そんな苦労をした母が私を一生懸命愛して育ててくれました。今は母に感謝の気持ちでいっぱいです。」涙の輪が広がりました。参加者一人一人が祭壇に白菊を供えました。

今朝6時半から出棺のための礼拝が始まりました。牧師さんの挨拶の一部を紹介します。
「・・日本に謝罪と法的闘争を始め、1998年山口県で他の被害者たちとともに最初の法的賠償金支給判決を引き出したイスンドクハルモニを思い出します。寒い冬に花を咲かせる椿のように日帝のその残忍な凍土にも生き残り、日帝の蛮行を証言された椿の花 イスンドクハルモニ・・」 
最後に参加者で手をつなぎハルモニのご冥福を祈りました。

出棺を見送っ後、私たちはバスでヤンジェの火葬場に向かいました。最後のお別れで娘さんが棺を抱えるようにしながら「お母さん、この世であんな苦労をしたのだから天国ではきっと幸せになってね。愛しています。愛していますよ、お母さん。」と涙ながらに見送られました。1時間後ハルモニは白い遺灰となって娘さんの胸に抱かれました。天安の望郷の丘に埋葬されます。私たちはご遺族にお別れの挨拶をしてソウルに戻りました。



 火葬場の待合室でナビネットワークの若者たちと話をしました。

以下その一部を紹介します。
「ソウルのナビネットワーク会員は約300人いるが全国にもたくさんいてその正確な数はわからない。男女比は3対7ぐらい。少女像を今も24時間体制で交代しながら守っている。韓国内で少女像撤去を言う人達は前パククネ政権支持者たちだ。私たちは日本がいけないとか韓国がいけないと言っているんじゃない。それぞれの政府が『慰安婦』問題に正面から取り組まないことを問題視しているのだ。パククネ前大統領を罷免に追い込んだのは私たち市民と学生の粘り強い闘いがあったからこそ実現できたと思っている。だから5月に新大統領が決まっても、この『慰安婦』問題がきちんと納得できる形の合意になるように、そんな政権運営をさせるように引き続き声を上げていくつもりだ。」
「日本のあなたたちと私たちがこうして今日話ができたこと、とても嬉しい。これからも連絡を取り合っていきましょう。」


ハルモニがまた新たな縁をつくってくれました。ありがとうございます、イスンドクハルモニ! 安らかにお眠りください。
 2017年4月6日   都築寿美枝



        李順徳ハルモニへのメッセージ 2017年4月4日



順徳さん
真っ白な御髪になられてからはお会いできてなくて、夏にはその御髪をといてさしあげたいと思っていましたのにかなわずごめんなさい。お安らかに。
 T・A

李順徳ハルモニは、原告の中でも特に印象深い方のお一人でした。
今は悲しみよりも、現在の日韓関係、また日本国内の状況を見るにつけ、ハルモニに申し訳ない、情けない気持ちでいっぱいです。
ごめんなさい、ハルモニ。
ご冥福をお祈りします。
A・H

李順徳さんがとうとう亡くなられたとのこと、さびしくなりますね。
生前、彼女が花房さんご夫妻に、
「裁判に勝って賠償金がもらえたら、ごちそうするよ」と語っていたことが忘れ
られません。きさくな、かわいらしいおばあちゃんだった、という印象です。
彼女を少しでも知る者として、心よりお悔やみ申し上げます。

日韓は「慰安婦問題」をめぐっては、たいへん険悪になっており、「少女像」は
解決が見いだせない状態です。
しかしながら、李順徳さんと、花房さんはじめ、支援者の皆様方とのあいだには
そういったものを超えた、たしかな信頼と友情があったと思います。
李順徳さんがそれを感じながら余生を送っていたのなら、慰安婦問題が白日のも
とになったことは、決して無駄ではなかったと思っています。
Y・I

李順徳さん!
今日はとてもいい天気で、桜の花が一気に咲いています。
良い日に逝かれましたね。
2009年に訪韓したとき遺言のように言われましたね。「オレが死んだら光になってあんたたちの所に行って知らせるから悲しんでくれよ」
胸が痛くてたまりません。
よく頑張られましたね。
本当によく生きてくださいました。
ハルモニの笑顔がうかびます。またお会いしたいです。
E・H

心の中からの恨を晴らす事が出来ず残念だったでしょう。
私たちの力不足をお詫びします。
ゆっくりお休み下さい。
貴方の笑顔を忘れません。
E・Y

順徳さん、あなたのご生涯は地上の暴力に覆われましたが、あなはその地上に「聖なる遺産」(関釜裁判下関判決)を残して下さいました。私たちは、歴史は、決してそのことを忘れません。やがて御国で、また花房さんご夫妻のお供でお会いできます日を待っています。どうぞ安らかにお眠りください。 
J・Y
  






 「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク



日韓「合意」に思うー「合意」の実施にあたって被害者への直接謝罪を日本政府に訴える




「日韓合意」以降、韓国国内では日韓両政府に対する不信感が渦巻いています。
日本国内では「やっと終わる。しかし本当に終わるのか?」という安堵感と不安感があるように思います。
癒しがたい傷を負った被害者に思いを馳せ、なんとか前に進めたいとの思いで書いた論考です。




             1securedownload.jpg


「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク(花房俊雄)





 「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク

岩波書店『世界』論考掲載のお知らせ



現在発売中の『世界』5月号(4月9日発売)に 福岡ネットワークの花房俊雄の論考
「日韓合意に思う」が掲載されています。
どうぞ手に取ってご覧ください。


            . 20160419150735d13.jpeg


              目次の一部↓

         .世界



 
 「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
≪前のページ≪ ホーム ≫次のページ≫

ようこそ!

プロフィール

「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク

Author:「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
私たちは「慰安婦」被害者に20年あまり前に出会い、その被害の深刻さに衝撃を受けました。私たちは被害者が生存中に「解決」したいと、さまざまな道を探りながら活動し続けてきました。今も大きな課題として残る「慰安婦」問題を多くの人に分かりやすく伝え、今後このような性暴力を起さないために私たちはブログを立ち上げました。

カテゴリ

最新記事

河野談話全文

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。  なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより

リンク

月別アーカイブ