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私たちは関釜裁判(韓国・釜山とその近郊に住む元日本軍「慰安婦」と元女子勤労挺身隊の方々が日本国を相手に下関の裁判所に訴えた裁判)を支援してきたメンバーが中心となり、女性問題や戦争責任問題を考えてきた人々とともに行動しています。日本による戦争の被害女性のことを忘れない、次世代に記憶をつないでいきたいとの思いでこのブログを開設します。

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                 2013年5月16日
     「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク      



          最新記事
日韓合意を巡る韓国政府の新方針を憂う
韓日 日本軍慰安婦被害者問題の合意 (2015.12.28) 検討結果報告書
「バタビア裁判における慰安所関係事件開示資料」
「慰安婦」問題における軍や国の「強制」をどのように考えるか
河野談話の検証結果(2014年6月発表)を読んで

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内閣総理大臣・菅義偉様    日本政府は「慰安婦」被害者に誠実な謝罪を届けてください!

内閣総理大臣・菅義偉様

   日本政府は「慰安婦」被害者に誠実な謝罪を届けてください!


 本年1月8日にソウル中央地方法院(地方裁判所)で元日本軍「慰安婦」の原告の訴えを認め、日本国に原告一人当たり1億ウォン(約950万円)の賠償を命ずる判決が下されました。
 日本政府はこの判決に強く反発し、①国際法上の主権免除の原則「主権国家は平等なので一国が他国の裁判権に服することはないという国際慣習法」に違反した判決 ②1965年の日韓請求権・経済協力協定で「完全かつ最終的に解決」されている ③2015年12月の日韓外相会談における合意により「慰安婦」問題の「最終的かつ不可逆的な解決」が確認されている ④断じて受け入れることはできない、というものでした。
 ②の請求権に関しては、日本政府は従来「請求権の放棄は国の外交保護権の放棄であり、被害者個人の請求権は否定していない」(1991年8月27日参議院予算委員会で柳井俊二政府委員の答弁)、「慰安婦」問題の解決は裁判所の判断を待つ(1992年2月26日衆議院外務委員会、柳井氏)としてきました。「完全かつ最終的に解決された」のは外交保護権の行使であって、被害者個人の請求権ではありません。
 ③の「日韓合意」は国庫からの10億円を償い金に充てるとしたのは前進ですが、被害者抜きで政府間での「最終的・不可逆的解決」がうたわれました。その後、「和解・癒し財団」から要請された被害者への謝罪の手紙を安倍首相が「毛頭考えていない」と拒否するに至り、10億円はあたかも手切れ金であるかの印象を与えてしまい、被害者や韓国世論の猛烈な怒りを買い、最終的な解決にほど遠いものになりました。
 残る➀の被害者の住む韓国の裁判所で他国の日本政府を相手にした裁判は国際法に違反しているのかが問題点です。 
 日本政府の主張する「主権免除」の国際慣習法の原則は時代とともに大きく変化してきています。国家のどのような行為にも適用される絶対免除主義は19世紀の遺物であるにすぎません。20世紀に入り国家の行為が多様化し、商品の購入や工事の発注など一般人でもできる行為(私法行為)を国家がして不払いなどの紛争が起こった場合は裁判で解決する制限免除主義が登場しました。私法行為に対する制限免除主義を韓国は1998年の大法院判決、日本は2006年の最高裁判決ですでに受け入れています。

人権例外の登場
 第二次世界大戦末期ドイツ軍がギリシャの民間人214人を虐殺したディストモ事件   の遺族たちがドイツに損害賠償を訴えた裁判は2000年ギリシャ最高裁が主権免除を否定した地裁判決を確定しました。
 イタリアでドイツ軍の捕虜となり強制労働に従事させられたフェッリーニ氏がドイツに賠償を求めた裁判で2004年にイタリア最高裁判所はドイツの主権免除は認められないと判決、その後多数の強制労働者や虐殺事件の遺族の対ドイツ訴訟も勝訴しました。
 主権免除が国家の尊厳や外交関係の安定に寄与するとしても、国際法の重大な違   反による深刻な人権侵害の被害者の最後の救済手段が自国内の裁判である場合は主   権免除よりは裁判を受ける権利を優先させる判断です。その後多数の強制労働者や虐殺事件の遺族の対ドイツ訴訟も勝訴しました。

人権例外に対する賛否の拮抗
 イタリア裁判所の判断についてドイツが国際司法裁判所(ICJ)に提訴し、2012年にICJは「人権例外を認める国内判決や立法例はまだ相対的に少数なので、現在のところ人権例外を国際慣習法と認めることはできない」と将来の国際法の発展に含みを残す判決を行ないました。
 イタリアの国会はICJ判決を受け入れるため、裁判官に主権免除の適用を義務付ける立法をおこないましたが、イタリア憲法裁判所は2014年そのような法律は裁判を受ける権利を侵害して違憲であるとしました。
 人権例外をめぐるせめぎあいは、国家中心の古い国際法と、人権保障を国際法の目的とし、個人を国際法の主体と位置付けていこうとする新しい国際法の対立の反映です。日本と韓国の対立ではなく、人権を侵害された個人と国家の対立なのです。今回の韓国での判決の意義は、日本軍「慰安婦」被害者らが苦難の人生の終盤に裁判所から法的権利を認められた点にあり、世界の人々に人権回復の新しい手段を授ける判決でした。

なぜ「慰安婦」問題は解決できなかったのでしょうか

 1991年韓国で「慰安婦」被害者たちのカムアウトがあり、「慰安婦」問題の解決が日本政府に問われてから既に30年が過ぎました。日本政府のこれまでの「慰安婦」問題解決策がなぜ成功しなかったのでしょうか?
 日本政府は1993年河野談話で「慰安所の設置・管理及び慰安婦の移送に関与した責任」「当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」ことを認め「お詫びと反省の気持ち」をのべ「われわれは、歴史研究・歴史教育を通じてこのような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」と表明し、この談話を歴代首相は引き継いできました。
 この談話を受け1995年に、「女性のためのアジア平和国民基金」が発足しました。国からの賠償ではなく、国民からの募金を被害者に渡して償おうとするものでした。関釜裁判の原告・李順徳(イ・スンドク)さんは「おれは乞食ではない。あっちこちから集めた同情の金は要らない。国がちゃんとおれの前に来て謝って、国の金を出せば喜んでもらうよ。」と激しく反発し、受け取りを拒否しました。韓国・台湾で受け取った被害者の数は少なく、被害者との和解に失敗しました。
 2015年暮れの日韓合意については前述したように、被害者のみならず韓国民の激しい怒りと反発が起こり、再び和解が実現しませんでした。
 なぜ日本政府の対応は解決に至らなかったのでしょうか?その答えはソウル中央地方法院の判決への原告の反応が鮮やかに示しています。原告の李玉善(イ・オクソン)さんは韓国の中央日報の取材に対して「1億ウォン受け取ってもダメだ。・・日本の謝罪が先だ」「私たちが何故慰安婦として生きたか。それは日本のせいだからではないか。まだ悔しく思う気持ちが大きい。・・・これまでまともに解決されたものは何もない。・・・私たちが何か罪を犯してこのように生きなければならなかったのか。・・・私たちの気持ちが晴れてこそ真の解決だ。・・・日本が謝罪しなければならない。お金ではダメだ」と発言しました。
  韓国の日本軍「慰安婦」被害者は植民地支配下で生まれました。当時の国民学校(小学校)にも満足に通えなかった貧農の家で育ち、周旋人に「日本でよい仕事があるから」と騙されたり、親に売られたりして日本軍慰安所に入れられ、軍人によるレイプの痛ましい犠牲者になりました。心身に深い傷を抱えて戦後帰国した被害者たちは周りの人たちから蔑みの目で見られることを恐れ、社会の底辺でうめきながら人生を送ってきました。同じく関釜裁判の原告の朴頭理(パク・トゥリ)さんは「戦時中はつらかったよ。しかし戦後はもっとつらかった」としみじみ漏らしました。
 戦時下の植民地朝鮮では家父長制が今よりはるかに強い時代でした。純潔を守って夫となるべき人に嫁ぎ、命を懸けても貞節を守るのが女性の生き方とする因習の強い影響下にありました。その反面、不特定多数の男性に身を許す行為は蔑まれ、断罪される性意識が今よりもはるかに強い時代です。
 女性に対して日本と同じような男尊女卑の因習があったフィリッピンで、日本軍に拉致され「慰安婦」にされたマリア・ロサ・Ⅼ・ヘンソンさんは「私は自分が無価値だと感じました。レイプされたために『よごれた女』になってしまったと感じたからです。処女を失ったことは、未来の夫に捧げるべき一番大切なものをなくしたということでした」そして「自分で自分を恥じるようになり自信や自尊心を失い、地面に自分の頭を埋めて隠して生きてきました」(『ある日本軍「慰安婦」の回想』岩波書店)と回想しています。
 「慰安婦」被害者たちは日本軍の犯した罪を、自らに刻印された罪として内面化し、自らを恥じながら生きてきました。戦後50年近く経ち、自らの老後を託せる家族を築き得なかった被害者たちが忍び寄る老いにおびえていた頃、民主化後の韓国で支援団体が作られました。「あなたたちに罪はない。罪は日本軍と日本国にある。名乗り出て共に謝罪と賠償を求めて闘いましょう!」という呼びかけがなされ、被害者たちが勇気をもって名乗り出ました。
 日本政府のこれまでの「慰安婦」問題への対応が被害者たちに受け入れられなかったのは、被害者一人一人の痛ましい人生と無念の思いに誠実に向き合い責任を果たそうとしてこなかったことにあります。自らの娘や孫が「慰安婦」被害者たちと同じような目にあったら、とわが身に引き付けて考えれば、被害者たちの無念の思いも自ずから解るはずです。
 加害国のお金ではなく、国民から集めたお金で被害者たちはどうして自尊感情を取り戻せるのでしょうか。被害者に自ら向き合うことなく「謝罪文を書くなど毛頭考えていない」と言い放つ安倍首相の言葉がさらに被害者を傷つけたことを日本政府と社会は深く自覚しなければなりません。

 日本政府は韓国政府と協議して被害者が納得のいく解決を
 「慰安婦」判決後の1月18日の新年記者会見で、文在寅韓国大統領は日本人記者の「慰安婦」問題に絞った質問に対し、日本の輸出規制問題や徴用工判決問題の外交的努力をしている最中に「慰安婦判決がさらに加わったので、正直少し困惑した」と心境を吐露しました。そして「2015年の韓日の『慰安婦』合意が両国政府の公式合意だった事実を認める」とし、「その土台の上で被害者も同意する解決案を日韓両政府が模索し」「韓国政府が原告を最大限説得する」と明言しました。そして知日派の姜昌一(カン・チャンイル)氏を駐日韓国大使に任命しました。
 今回の「慰安婦」判決の賠償金は、合意に基づく被害への償い金とほぼ同じ額です。残されているのは日本政府の被害者の心に届く誠実な謝罪です。
 今こそ韓国政府の呼びかけに応え、日本政府が「慰安婦」問題を解決し、被害者たちと被害国との和解を成し遂げる最後のチャンスです。生存する被害者は残りわずかとなり、言葉が交わせる人は5人しかいません。被害者がいなくなったら、「慰安婦」問題は日韓対立の永遠の棘として残るでしょう。解決のために残された時間は多くはありません。
 いまこそ、菅首相は歴代首相が成し遂げられなかった「慰安婦」問題の解決をぜひ成し遂げてください。以下要望します。

➀改めて首相は国会で日本国の罪を認め、許しを請う誠実な謝罪を表明する。
日本大使が一人一人の被害者を訪問して首相の謝罪文を手渡し、解決が遅れたことをお詫びする。
②二度と同じ過ちを繰り返さないために、教育で「慰安婦」問題を伝え続ける。


                   2021年3月23日

                   「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
                

【賛同団体:35団体】
憲法・教育基本法改悪に反対する市民連絡会おおいた、ピースサイクルおおいた、旧日本軍性奴隷問題の解決を求める証言集会京都、東京都学校ユニオン、日本コリア協会福岡、NGO「人権・正義と平和連帯フォーラム」福岡、原発とめよう!九電本店前ひろば、排外主義にNO!福岡、I(アイ)女性会議福岡県本部、日本軍「慰安婦」問題解決のために行動する会・北九州、日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク、高暮ダム強制連行を調査する会、部落解放同盟広島県連合会、ストーンウォーク福岡、国際多文化共生研究所(代表 ⻆正信)、北九州平和資料館(北九州市若松区)、東アジア平和センター・福岡(代表 ファン・ナンドク宣教師)、「慰安婦」問題を考える市民の会(神奈川県相模原市、代表 桜井真理)、AWCアジア共同行動福岡、ありらん文庫資料室、在日朝鮮人作家を読む会、みんなのまちの人権図書館「猪飼野セッパラム文庫」(大阪市天王寺区)、朝鮮学校生徒を守るリボンの会、ふくおか自由学校運営委員会、長野民衆センター、「慰安婦」問題と取り組む九州キリスト者の会、名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会、やまぐち障害者解放センター、山口被爆二世の会、山口連帯労働組合、AWC山口実行委員会、ハルハル会(北九州で日本軍「慰安婦」問題を学ぶ若者の会)、福岡・戦争に反対する女たち、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会、日中友好協会大分支部

【賛同人:227人】
(賛同人のお名前の掲載は割愛させていただきます。)
以上(順不同、敬称略)




 「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク


            

‘나눔의집’의 7 명의 실무자들의 고발을 지지합니다! ‘나눔의집’은 피해자 할머니들을 위한 시설입니다!



나눔의집은 일본군 '위안부' 피해자를 정면으로 마주 대하고자 하는 일본인에게는 특별한 의미를 가지는 장소입니다. 피해자의 체온을 느끼면서 일본의 위안소 정책, 일본군에 의한 성폭력의 실태를 알고, 피해자가 꿋꿋하게 살아 주신 것에 감사하면서, 돌아가신 할머니들을 추모하는 장소입니다.

저희들은 이번 나눔의 집의 7명의 실무자들의 내부 고발에 놀랐고, 동시에 그 용기에 감동받았습니다. 운영 모체(母体)인 조계종이 할머니들을 위해 모아진 막대한 기부금을, 할머니들의 사후에는 새로운 복지 비지니스에 사용하려고 하였고, 이 때문에 할머니들을 위해 직접적으로 사용된 금액은 전체 기부금의 5%에도 미치지 못했다는 것을 알게 되었습니다.

관부재판의 원고였던, 박 두리 할머니는 1993년에 나눔의집에 입주하여 2006년에 돌아가셨습니다만, 돌아가시기 전의 2년간의 일들이 떠올랐습니다. 박 두리 할머니의 당시의 상태는 24시간 간호가 필요하였고, 당시 나눔의집에는 그 인적여유가 없어 새로운 간병인을 고용해야 했지만, 나눔의집에서는 그러한 비용은 자비(自費)로 지불해야 한다고 하여, 금전적으로 여유가 없었던 할머니는 나눔의집에서 생활하지 못하고 노인전문병원에 들어가셨다고 들었습니다.

그러나 입원 며칠 후 병원의 실수로 다리에 큰 화상 (핫팩에 의한 저온 화상)을 입게 되어 안양 메트로병원으로 옮겨져 수술을 받으시고 회복했지만, 혼자서 걸으실 수가 없었기 때문에 그 사고를 낸 노인전문병원으로 다시 돌아가셨습니다. 그리고 며칠 후 다시 같은 원인의 화상을 입어 안양 메트로병원으로 옮겨 두 번째 수술을 받으셨습니다. 기적적으로 회복한 할머니는 이번에도 또다시 같은 노인전문병원으로 보내졌습니다. 그러다 다시 그 곳에서 침대에서 떨어지는 사고를 당해 대퇴골 골절을 입으시고 다시, 또다시 안양 메트로병원으로 옮겨 수술을 받아, 일시적으로 회복되셨지만 결국 그 병원에서 마지막을 맞이하셨습니다.

왜 나눔의집에서는 간호 체제를 만들 수 없었는가, 왜 3번이나 그 열악한 노인전문병원에 입원을 시켜야 했는지 이해할 수 가 없었습니다. 그러나 이번 고발로 운영 모체인 조계종의 방침에 그 근본 원인이 있었음을 알게 되었습니다. 그리고 실무 직원분들이 그러한 어려운 노동 환경 속에서도 자신들의 자비로 할머니들에게 필요한 물건을 구입하는 등 뼈를 깎는 노력으로 오랜 시간 할머니들의 돌보고 있었다는 것을 알게 되었습니다. 저희들은 그러한 실무자 분들의 노고에 깊은 감사를 드립니다.

나눔의집의 운영에 관계되신 모든 분들은 이러한 실무자분들의 목소리를 진지하게 들으셔서, 할머니들을 위해 모아진 기부금은 할머니들을 위해 사용해주십시오. 일본군 '위안부' 문제에 관심이 없으시다면 조계종은 나눔의집 운영에서 손을 떼 주십시오.

저희들은 살아 계신 할머니들이 남은 여생이나마, 행복하고 평화롭게 지내시기를 간절히 바라고 있습니다.
2020 년 6 월 20 일


'위안부'문제에 주력하고 있는 후쿠오카 네트워크
전후(戦後) 책임을 묻는 · 관부 재판을 지원하는 모임(有志)






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ナヌムの家7名の実務者の告発を支持します! ナヌムの家は被害者ハルモニたちのための施設です!



 ナヌムの家は、日本軍「慰安婦」被害者に向き合いたいと願う日本人にとっても特別な意味を持つ場所です。被害者の体温を感じながら、日本の慰安所政策、日本軍による性暴力の実態を知り、被害者が生き抜いてくださったことに感謝しつつ、亡くなられたハルモニたちを追悼する場です。

 私たちはこの度のナヌムの家7名の実務者による内部告発に驚き、その勇気に感動しました。 運営母体曹渓宗がハルモニたちへの膨大な寄付金をハルモニたち亡き後の福祉ビジネスに回し、ハルモニたちに対して直接使われた金額は寄付金全体の5%にも満たない額だったと知りました。

 関釜裁判の原告であった朴頭理ハルモニは、93年にナヌムの家に入居し、2006年に亡くなられましたが、亡くなる前の2年間を思い出します。朴頭理ハルモニの当時の状態は24時間の介護が必要で、ナヌムの家にはその人的余裕がなく、付き添い人を雇わないといけないが、費用は自費で支払ってもらわねばならないとのことで、金銭的に余裕のないハルモニはナヌムの家で生活できず老人専門病院に入ったと聞きました。

 しかし、入院の数日後に病院のミスで足に大きな火傷(ホットカイロによる低温火傷)を負われました。安養メトロ病院に移って手術を受けられ、回復しましたが、一人で歩けなかったのでその事故を起こした老人専門病院に戻られました。そして数日後に再び同じ原因の火傷をして安養メトロ病院に移り2回目の手術を受けられました。奇跡的に回復したハルモニはまた同じ老人病院に戻されました。さらにそこでベッドから落ちて大腿骨を骨折して再再度安養メトロ病院に移り手術を受けられ、一時回復されましたが、その病院で最後をむかえられました。

 何故、ナヌムの家で介護体制を作れないのか、何故、3度もこの劣悪な老人専門病院に入院させられるのか理解できませんでした。しかし、この度の告発で運営母体曹渓宗の方針が根本原因だったことを知りました。そして、実務スタッフの方々がそのような厳しい労働環境の中で、自費でハルモニたちに必要なものを購入するなど骨身を削って長年ハルモニたちのお世話をしていただいていたことがわかりました。私たちは彼らに深く感謝します。

 ナヌムの家運営関係諸氏は実務者たちの声を真剣に聞き、ハルモニたちに贈られた寄付金はハルモニたちのために使ってください。日本軍「慰安婦」問題に関心がないのなら、曹渓宗はナヌムの家の運営から手を引いてください。

 私たちは生存するハルモニたちが幸福で穏やかな生を全うされることを切に望んでいます。

「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
戦後責任を問う・関釜裁判を支援する会有志





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映画『허스토리』(ハーストーリー)の製作者に抗議する!



 私たちは福岡に住む「戦後責任を問う・関釜裁判を支援する会」のメンバーです。
 
 この映画は関釜裁判を題材にした実話に基づく映画と銘打っていますが、弁護士にも支援する会にも、何よりも原告に取材しないで作られています。
 私たちはこの度、映画を観て驚愕し、怒りと悲しみを禁じえませんでした。原告たちの願い、支援する会の願いが無視され歪曲されています。
 
 関釜裁判は日本軍「慰安婦」被害者と勤労挺身隊被害者の双方を原告とする裁判です。
10名の原告のうち7名が勤労挺身隊の被害者です。
 彼女たちは自分たちの被害が韓国社会で正確に知られていない中で、孤独な闘いを強いられてきました。挺身隊イコール「慰安婦」という韓国社会の間違った認識の中で、家族や地域の偏見の目にさらされながら闘ってきて、ようやくその違いと被害実態が認められつつあるときに、その偏見を増幅させるようなストーリーを作り、勤労挺身隊の実態を関釜裁判から消したことは犯罪的ですらあります。
 
 さらに、「慰安婦」原告の被害についても、証言記録があるにもかかわらず、何故この裁判とは関係のない何人かの被害者の方のエピソードを切り貼りし、誇大に脚色するのか。こうした製作姿勢から推測すると、監督は被害がひどければひどいほどいいという商業主義にとらわれ、被害者の痛みに寄り添うことをしないまま製作したのではないかと思われてならず、不誠実さと怠慢を感じざるを得ません。
 また、最高裁判例に異を唱えて下関判決を下した裁判官たちの誠意や勇気を推し量ることもできないようです。
 
 絶対にフィクションにしてはならない事実があるはずで、それは原告被害者が命がけで裁判の中で訴えた「被害事実」です。
 劇中で不二越に勤労挺身隊として動員され「慰安婦」にさせられた人物のモデルとなっているのは原告の朴SOさんです。98年下関判決の時のメディア報道が韓国で流れ、地域や教会の人たちからは「慰安婦だったのか」と言われ、家族からは「恥ずかしいから裁判はやめてくれ!」と乞われ、怒りと悲しみで軽い脳梗塞を起こされました。このことが後の認知症の引き金になったと思われる方です。
 彼女はもちろん「慰安婦」にさせられてはいませんし、さらに彼女を挺身隊に送り出したとされた杉山先生は彼女の国民学校4年生の時の担任の先生で、SOさんが敬愛してやまない方です。実際に挺身隊に送り出した先生は6年生の時の担任で別の人です。杉山先生との福岡での感激の対面を映画では別様のフィクションにしてしまい、もしSOさんが生きておられて、このことを知ったらどれほど怒り傷つくことかと思わずにはいられません。杉山先生は皇民化教育に携わった自らを深く悔やみ、生涯を日韓の真の友好のために取り組み続けておられる方で、ご存命の彼女がこの映画に出会わないことを祈らずにはいられません。
 
裁判が始まって以降、原告たちには支援する会メンバーの家や、教会に宿泊していただきました。そこで、裁判の打合せを行い、原告たちは支援者と共に食事をし、歌い、踊ってきました。親しくなるにつれてそれまで誰にも言えなかった悩みを吐露することもあり、支援者たちは被害者の負った深い傷に出会ったのでした。
それは、原告たちと支援者たち双方が信頼と敬愛を深め合いながら自己変革していった過程でした。映画で描かれた、原告たちが旅館に泊まったことも、そこで起きたことも、監督の荒唐無稽な空想にすぎません。
 
支援する会の願いは原告被害者に寄り添いながら共に闘い、日本社会に彼女たちの被害を知らしめ、日本政府に解決を促すことでした。国内の「新しい歴史教科書を作る会」等の歴史修正主義者と闘いながら、戦争被害の真相究明法を国会で成立させるための取り組みや、「慰安婦」被害者への謝罪賠償法を作るために地元福岡から国会議員を送り出す選挙戦やロビー活動に、及ばずながら取り組んできました。裁判を通して育まれた原告たちとの絆が、支援する会の身の丈を超える闘いに私たちを駆り立ててきました。
このような原告たちと支援者たちの交流と運動は描かれず、映画では当時全くなかった右翼などの嫌がらせや市民の冷ややかな態度をちりばめ、日本社会への反感を煽っています。
 
この映画は裁判の真実を伝えるものではなく、原告たちの願いと名誉を再び傷つけてしまっています。関釜裁判から学ぶことをしなかった映画『허스토리』(ハーストーリー)製作者たちに痛切な反省を求めます!
 
2018年9月14日
            戦後責任を問う・関釜裁判を支援する会




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Author:「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
私たちは「慰安婦」被害者に20年あまり前に出会い、その被害の深刻さに衝撃を受けました。私たちは被害者が生存中に「解決」したいと、さまざまな道を探りながら活動し続けてきました。今も大きな課題として残る「慰安婦」問題を多くの人に分かりやすく伝え、今後このような性暴力を起さないために私たちはブログを立ち上げました。

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河野談話全文

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。  なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより

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