内閣総理大臣・菅義偉様
日本政府は「慰安婦」被害者に誠実な謝罪を届けてください! 本年1月8日にソウル中央地方法院(地方裁判所)で元日本軍「慰安婦」の原告の訴えを認め、日本国に原告一人当たり1億ウォン(約950万円)の賠償を命ずる判決が下されました。
日本政府はこの判決に強く反発し、①国際法上の主権免除の原則「主権国家は平等なので一国が他国の裁判権に服することはないという国際慣習法」に違反した判決 ②1965年の日韓請求権・経済協力協定で「完全かつ最終的に解決」されている ③2015年12月の日韓外相会談における合意により「慰安婦」問題の「最終的かつ不可逆的な解決」が確認されている ④断じて受け入れることはできない、というものでした。
②の請求権に関しては、日本政府は従来「請求権の放棄は国の外交保護権の放棄であり、被害者個人の請求権は否定していない」(1991年8月27日参議院予算委員会で柳井俊二政府委員の答弁)、「慰安婦」問題の解決は裁判所の判断を待つ(1992年2月26日衆議院外務委員会、柳井氏)としてきました。「完全かつ最終的に解決された」のは外交保護権の行使であって、被害者個人の請求権ではありません。
③の「日韓合意」は国庫からの10億円を償い金に充てるとしたのは前進ですが、被害者抜きで政府間での「最終的・不可逆的解決」がうたわれました。その後、「和解・癒し財団」から要請された被害者への謝罪の手紙を安倍首相が「毛頭考えていない」と拒否するに至り、10億円はあたかも手切れ金であるかの印象を与えてしまい、被害者や韓国世論の猛烈な怒りを買い、最終的な解決にほど遠いものになりました。
残る➀の被害者の住む韓国の裁判所で他国の日本政府を相手にした裁判は国際法に違反しているのかが問題点です。
日本政府の主張する「主権免除」の国際慣習法の原則は時代とともに大きく変化してきています。国家のどのような行為にも適用される絶対免除主義は19世紀の遺物であるにすぎません。20世紀に入り国家の行為が多様化し、商品の購入や工事の発注など一般人でもできる行為(私法行為)を国家がして不払いなどの紛争が起こった場合は裁判で解決する制限免除主義が登場しました。私法行為に対する制限免除主義を韓国は1998年の大法院判決、日本は2006年の最高裁判決ですでに受け入れています。
人権例外の登場 第二次世界大戦末期ドイツ軍がギリシャの民間人214人を虐殺したディストモ事件 の遺族たちがドイツに損害賠償を訴えた裁判は2000年ギリシャ最高裁が主権免除を否定した地裁判決を確定しました。
イタリアでドイツ軍の捕虜となり強制労働に従事させられたフェッリーニ氏がドイツに賠償を求めた裁判で2004年にイタリア最高裁判所はドイツの主権免除は認められないと判決、その後多数の強制労働者や虐殺事件の遺族の対ドイツ訴訟も勝訴しました。
主権免除が国家の尊厳や外交関係の安定に寄与するとしても、国際法の重大な違 反による深刻な人権侵害の被害者の最後の救済手段が自国内の裁判である場合は主 権免除よりは裁判を受ける権利を優先させる判断です。その後多数の強制労働者や虐殺事件の遺族の対ドイツ訴訟も勝訴しました。
人権例外に対する賛否の拮抗 イタリア裁判所の判断についてドイツが国際司法裁判所(ICJ)に提訴し、2012年にICJは「人権例外を認める国内判決や立法例はまだ相対的に少数なので、現在のところ人権例外を国際慣習法と認めることはできない」と将来の国際法の発展に含みを残す判決を行ないました。
イタリアの国会はICJ判決を受け入れるため、裁判官に主権免除の適用を義務付ける立法をおこないましたが、イタリア憲法裁判所は2014年そのような法律は裁判を受ける権利を侵害して違憲であるとしました。
人権例外をめぐるせめぎあいは、国家中心の古い国際法と、人権保障を国際法の目的とし、個人を国際法の主体と位置付けていこうとする新しい国際法の対立の反映です。日本と韓国の対立ではなく、人権を侵害された個人と国家の対立なのです。今回の韓国での判決の意義は、日本軍「慰安婦」被害者らが苦難の人生の終盤に裁判所から法的権利を認められた点にあり、世界の人々に人権回復の新しい手段を授ける判決でした。
なぜ「慰安婦」問題は解決できなかったのでしょうか 1991年韓国で「慰安婦」被害者たちのカムアウトがあり、「慰安婦」問題の解決が日本政府に問われてから既に30年が過ぎました。日本政府のこれまでの「慰安婦」問題解決策がなぜ成功しなかったのでしょうか?
日本政府は1993年河野談話で「慰安所の設置・管理及び慰安婦の移送に関与した責任」「当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」ことを認め「お詫びと反省の気持ち」をのべ「われわれは、歴史研究・歴史教育を通じてこのような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」と表明し、この談話を歴代首相は引き継いできました。
この談話を受け1995年に、「女性のためのアジア平和国民基金」が発足しました。国からの賠償ではなく、国民からの募金を被害者に渡して償おうとするものでした。関釜裁判の原告・李順徳(イ・スンドク)さんは「おれは乞食ではない。あっちこちから集めた同情の金は要らない。国がちゃんとおれの前に来て謝って、国の金を出せば喜んでもらうよ。」と激しく反発し、受け取りを拒否しました。韓国・台湾で受け取った被害者の数は少なく、被害者との和解に失敗しました。
2015年暮れの日韓合意については前述したように、被害者のみならず韓国民の激しい怒りと反発が起こり、再び和解が実現しませんでした。
なぜ日本政府の対応は解決に至らなかったのでしょうか?その答えはソウル中央地方法院の判決への原告の反応が鮮やかに示しています。原告の李玉善(イ・オクソン)さんは韓国の中央日報の取材に対して「1億ウォン受け取ってもダメだ。・・日本の謝罪が先だ」「私たちが何故慰安婦として生きたか。それは日本のせいだからではないか。まだ悔しく思う気持ちが大きい。・・・これまでまともに解決されたものは何もない。
・・・私たちが何か罪を犯してこのように生きなければならなかったのか。・・・私たちの気持ちが晴れてこそ真の解決だ。・・・日本が謝罪しなければならない。お金ではダメだ」と発言しました。
韓国の日本軍「慰安婦」被害者は植民地支配下で生まれました。当時の国民学校(小学校)にも満足に通えなかった貧農の家で育ち、周旋人に「日本でよい仕事があるから」と騙されたり、親に売られたりして日本軍慰安所に入れられ、軍人によるレイプの痛ましい犠牲者になりました。心身に深い傷を抱えて戦後帰国した被害者たちは周りの人たちから蔑みの目で見られることを恐れ、社会の底辺でうめきながら人生を送ってきました。同じく関釜裁判の原告の朴頭理(パク・トゥリ)さんは「戦時中はつらかったよ。しかし戦後はもっとつらかった」としみじみ漏らしました。
戦時下の植民地朝鮮では家父長制が今よりはるかに強い時代でした。純潔を守って夫となるべき人に嫁ぎ、命を懸けても貞節を守るのが女性の生き方とする因習の強い影響下にありました。その反面、不特定多数の男性に身を許す行為は蔑まれ、断罪される性意識が今よりもはるかに強い時代です。
女性に対して日本と同じような男尊女卑の因習があったフィリッピンで、日本軍に拉致され「慰安婦」にされたマリア・ロサ・Ⅼ・ヘンソンさんは「私は自分が無価値だと感じました。レイプされたために『よごれた女』になってしまったと感じたからです。処女を失ったことは、未来の夫に捧げるべき一番大切なものをなくしたということでした」そして「自分で自分を恥じるようになり自信や自尊心を失い、地面に自分の頭を埋めて隠して生きてきました」(『ある日本軍「慰安婦」の回想』岩波書店)と回想しています。
「慰安婦」被害者たちは日本軍の犯した罪を、自らに刻印された罪として内面化し、自らを恥じながら生きてきました。戦後50年近く経ち、自らの老後を託せる家族を築き得なかった被害者たちが忍び寄る老いにおびえていた頃、民主化後の韓国で支援団体が作られました。「あなたたちに罪はない。罪は日本軍と日本国にある。名乗り出て共に謝罪と賠償を求めて闘いましょう!」という呼びかけがなされ、被害者たちが勇気をもって名乗り出ました。
日本政府のこれまでの「慰安婦」問題への対応が被害者たちに受け入れられなかったのは、被害者一人一人の痛ましい人生と無念の思いに誠実に向き合い責任を果たそうとしてこなかったことにあります。自らの娘や孫が「慰安婦」被害者たちと同じような目にあったら、とわが身に引き付けて考えれば、被害者たちの無念の思いも自ずから解るはずです。
加害国のお金ではなく、国民から集めたお金で被害者たちはどうして自尊感情を取り戻せるのでしょうか。被害者に自ら向き合うことなく「謝罪文を書くなど毛頭考えていない」と言い放つ安倍首相の言葉がさらに被害者を傷つけたことを日本政府と社会は深く自覚しなければなりません。
日本政府は韓国政府と協議して被害者が納得のいく解決を 「慰安婦」判決後の1月18日の新年記者会見で、文在寅韓国大統領は日本人記者の「慰安婦」問題に絞った質問に対し、日本の輸出規制問題や徴用工判決問題の外交的努力をしている最中に「慰安婦判決がさらに加わったので、正直少し困惑した」と心境を吐露しました。そして「2015年の韓日の『慰安婦』合意が両国政府の公式合意だった事実を認める」とし、「その土台の上で被害者も同意する解決案を日韓両政府が模索し」「韓国政府が原告を最大限説得する」と明言しました。そして知日派の姜昌一(カン・チャンイル)氏を駐日韓国大使に任命しました。
今回の「慰安婦」判決の賠償金は、合意に基づく被害への償い金とほぼ同じ額です。残されているのは日本政府の被害者の心に届く誠実な謝罪です。
今こそ韓国政府の呼びかけに応え、日本政府が「慰安婦」問題を解決し、被害者たちと被害国との和解を成し遂げる最後のチャンスです。生存する被害者は残りわずかとなり、言葉が交わせる人は5人しかいません。被害者がいなくなったら、「慰安婦」問題は日韓対立の永遠の棘として残るでしょう。解決のために残された時間は多くはありません。
いまこそ、菅首相は歴代首相が成し遂げられなかった「慰安婦」問題の解決をぜひ成し遂げてください。以下要望します。
➀改めて首相は国会で日本国の罪を認め、許しを請う誠実な謝罪を表明する。
日本大使が一人一人の被害者を訪問して首相の謝罪文を手渡し、解決が遅れたことをお詫びする。
②二度と同じ過ちを繰り返さないために、教育で「慰安婦」問題を伝え続ける。 2021年3月23日
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
【賛同団体:35団体】
憲法・教育基本法改悪に反対する市民連絡会おおいた、ピースサイクルおおいた、旧日本軍性奴隷問題の解決を求める証言集会京都、東京都学校ユニオン、日本コリア協会福岡、NGO「人権・正義と平和連帯フォーラム」福岡、原発とめよう!九電本店前ひろば、排外主義にNO!福岡、I(アイ)女性会議福岡県本部、日本軍「慰安婦」問題解決のために行動する会・北九州、日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク、高暮ダム強制連行を調査する会、部落解放同盟広島県連合会、ストーンウォーク福岡、国際多文化共生研究所(代表 ⻆正信)、北九州平和資料館(北九州市若松区)、東アジア平和センター・福岡(代表 ファン・ナンドク宣教師)、「慰安婦」問題を考える市民の会(神奈川県相模原市、代表 桜井真理)、AWCアジア共同行動福岡、ありらん文庫資料室、在日朝鮮人作家を読む会、みんなのまちの人権図書館「猪飼野セッパラム文庫」(大阪市天王寺区)、朝鮮学校生徒を守るリボンの会、ふくおか自由学校運営委員会、長野民衆センター、「慰安婦」問題と取り組む九州キリスト者の会、名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会、やまぐち障害者解放センター、山口被爆二世の会、山口連帯労働組合、AWC山口実行委員会、ハルハル会(北九州で日本軍「慰安婦」問題を学ぶ若者の会)、福岡・戦争に反対する女たち、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会、日中友好協会大分支部
【賛同人:227人】
(賛同人のお名前の掲載は割愛させていただきます。)
以上(順不同、敬称略)
「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク